道に志し、芸に游ぶ

中国・北京在住(2018.8~)。主に読書記録。歴史/社会/言語/教育関係がメイン。

(映画記録)『天気の子』 ※注・ネタバレ含む

【注】以下ネタバレ含むので、これから見る予定の方はご留意ください。

 

11月1日から中国でも公開が始まった、新海誠監督『天気の子』を見てきた。平日だったためか観客は7、8人しかおらず、ほぼ貸し切り状態。日本語音声中国語字幕。

 

感想を結論から言うと、今年見た映画のなかで最も心を揺さぶられた。新海監督の作品は『秒速5㎝』『言の葉の庭』『君の名は。』しか見ていないが、個人的にその中でも最も感動した。

一言で言うと、「あまりにも美しいディストピア映画」だと思う。

 

真夏にもかかわらず雨の日が長期にわたり続いている東京が舞台。人々は続く雨に心をふさいでいるが、祈ると必ず晴れ間が差す「100%晴れ女」こと陽菜(ひな)が、同じく主人公で離島の実家から東京へ家出してきた少年・帆高(ほだか)とともに「天気を晴れ」にする仕事を始める。

が、「必ず晴れにできる」その力は無制限に使えるわけではなかった。仕事を休止していると、東京は超特大低気圧による豪雨に見舞われ、そして夏にもかかわらず雪が降るという「観測史上初の異常気象」に襲われる。

そのようななか、陽菜は自らの身体を「人柱」として天に昇ることで「晴れ」をもたらす。しかし彼女を愛おしく思う帆高は、彼女を救うべく奔走し、命からがら彼女を天から呼び戻す。しかし結果、東京は雨が降りやむことのない地域となり、街の大部分が水没してしまう。そのなかで彼女と未来を生きていこうと「選択」する。

 

まず、作中では「雨」が、人々(特に子どもたち)の日常や健康的な暮らしを阻むものとして象徴されている。が、そうしたものは今や雨だけではない。近年の夏の酷暑や、ほとんど毎年のように来るようになった大型台風、ここ北京で言えばPM2.5などの化学物質もそうしたものだろう。人により見解は異なると思うが、私自身はこうしたものは他でもない人間の際限のない経済活動が引き起こしたものであると思う。

そうした「雨」から人々は、陽菜という「晴れ女」に救いを求め、その代償として金銭を支払う。陽菜が「晴れ」を呼び寄せれば、人々は歓喜し、彼女を崇める。

しかし、それは陽菜自身が自らの身体を犠牲にして行う行為であった。それに気づいた陽菜と帆高はその仕事やめるが、結果東京は未曽有の災害に見舞われる。

すると、身よりのない子どもである陽菜や帆高は、警察の補導や保育所など、「社会による管理」の対象となる。未曽有の災害のなかでも、陽菜の弟・凪を含む三人は追われる対象となるのだ。「晴れ」を呼び寄せることで崇められていたころとは雲泥の差の境遇である。

陽菜は結局自らを犠牲にして「晴れ」を呼び戻すが、人々にとって彼女のそうした行いは認知されない。「あー、元通りになってよかった」と呟くだけである。それを知る唯一の人物である帆高と凪は、警察と児童相談所という「管理」の対象を逃れて陽菜を救い出す。

 

今の我々も、どこのだれかわからない「晴れ女」(作中の言葉を借りれば「人柱」)にすがっているのではないだろうか。あるいは、一人の人間として人生を歩んでいるそうした人物の生を、犠牲にしてはいないだろうか。それは他ならない、未来を生きる自分たちの子どもたち、あるいは孫たちではないだろうか。

未来の彼らも無論、豊かな世界で豊かな生をまっとうする権利を有する。しかし、彼らは現在を生きる私たちに、その権利を主張して現在の営為を批判することは、タイムスリップでもしない限りできない。たとえタイムスリップできたとしても、「何をおかしなことを言っているのだ」「警察に突き出そう」「身寄りのない子どもは児童相談所へ」「精神科医に見てもらおう」と言われるのが関の山だろう。

彼らは我々と「対話」するチャネルを持たない。「こんな世界でも受け入れて、愛する人と生きていこう」と「選択」するしかないのだ。

これは、「自らの境遇を受入れ、ひたむきに生きる子どもたち」という美談で片づけるには、あまりにも酷ではないだろうか。

彼ら・彼女らも愛する人とこの世界で生きていく権利を有する。幸せの度合いのみならず、昨今の災害の大型化や異常気象(と呼んで差し支えないだろう)に鑑みれば、生そのものが脅かされている。

そうした未来を変えることができるのは、今の私たちしかいない。

 

映画は、二人が愛を誓うような一見「ハッピーエンド」な雰囲気で終了する。しかし、その結末はディストピアの到来にすぎないだろう。この不協和音的なエンドが、あまりにもモヤモヤとした余韻を残す。

こうしたディストピアでこれから生きていくのでよいのか。これからの未来の人々を生きさせてよいのか。この作品をハッピーエンドとして済ませられるのか、どうすればよいのかが、突き付けられているのではと思った。

 

全体が、新海作品ならではの美しいアニメーションで描かれており、特に「天」のシーンはその美しさに息をのんでしまう。こうした美しい描写を楽しみつつ、突き付けられたこの課題について、今を生きる一人の人間として考えていきたいと思った。