道に志し、芸に游ぶ

中国・北京在住(2018.8~)。主に読書記録。歴史/社会/言語/教育関係がメイン。

(読書記録)入江昭(篠原初枝訳)『権力政治を超えて―文化国際主義と世界秩序―』1998年

権力政治を超えて―文化国際主義と世界秩序

権力政治を超えて―文化国際主義と世界秩序

  • 作者:入江 昭
  • 発売日: 1998/09/25
  • メディア: 単行本
 

国際関係における文化の役割は何か?という問いに応えるべく、「文化国際主義」の観点から近現代の国際関係史の叙述を試みた著作。

章立ては以下のとおりです。

序章 文化国際主義とは何か

第一章 国際主義の創成

第二章 文化国際主義の開花

第三章 文化のひとり歩き――国際主義からの乖離

第四章 新しいグローバリズムと文化の底流

終章 国際関係の文化的構築へむけて

 序章の冒頭で、本書の目的について、「十九世紀後半以降の国際関係史を主権国家間の相互作用というよりもむしろ、個人や集団が国境を越えて織りなす行為の総体として描くことを本書は目的としている」と述べています(p.2)。伝統的に主権国家を主たるアクターとする国際関係論では、その帰趨は国家のパワーによって左右されると言われます(戦争は国家の合理的な選択によるパワーのぶつかり合いで、平和は勢力均衡の産物とされるなど)。パワーの源泉は第一は軍事力、そして経済力ですが、筆者はここに文化という軸の追加を試みます。加えて、国際関係を織りなすアクターには個人やNGO、国際組織も想定されますが、こうした人々・組織も文化の重要な担い手としています。

その上で、

さまざま地域出身[原文ママ]の個人や集団が文化的交流を通じて、国や民族とは異なる共同体を形成しようとしてきた。これらの人々は、[…]世界という共同体を大きく変質させ、国際問題に対する我々の理解を計りしれないほど豊かにしてくれたのであった。彼らの努力の源泉となったその功績を総称して、筆者は「文化国際主義」と名付けることとする。(p.4)

と、「文化国際主義」というキーワードを定義しています。

第一章では第一次世界大戦前までを扱い、文化国際主義の萌芽を捉えています。帝国主義ナショナリズムが噴出していたこの時代、「戦争の起こりにくい国際環境を作るためには、ナショナリズムを抑制するべく何らかの手を打たなければならないと考えた人々(p.24)」によって文化国際主義が立ち上げられました。

しかし、当時の限界として、あくまでこの「国際」はヨーロッパのみで構成されていました。一等国や二等、三等国という序列意識があり、ヨーロッパ以外の国・地域は後者と見なされて不平等な関係にありました。不平等な関係ながらも条約や主権国家体制という秩序に巻き込まれていく、あるいは主体的に改革を図っていくなかで、非西洋諸国は「ナショナリズム(近代国民国家としての自画像の模索)と国際主義(自らの国際社会の一員としての位置づけ」という両方の道を歩まなければならなかった(p.26)」のです。

1900年代に入るとしかし、ヨーロッパ以外の国々もアクターとして加わる場が生じ始めました(1910年、ベルギーで結成された国際組織連合など)。社会主義者も、国境を越えて価値観を共有する主体として文化国際主義に寄与しました。「1905年にロシアと日本の社会主義者アムステルダムで一堂に会し、当時進行中であった日露戦争に反対を宣言した(p.40)」という事実を初めて知りました。

しかし一方で、日露戦争における日本の勝利もあって、いわゆる「東西文明二元論」も登場し始めました。日本の一部の人々はここで日本が非西洋(東洋)の盟主であるという自己認識を持ち始めます(小熊英二『単一民族神話の起源―「日本人」の自画像の系譜』でも指摘されています)。

しかし、「東洋」世界の国々も加えた上で「国際主義」が再定義されるような動きまでは見られず、WW1に突入していきます。

 

凄惨な結果をもたらしたWW1は、ヨーロッパの知識人を中心に、ヨーロッパ域内に留まらない、そして国家という枠組みを超越した知的・文化的連帯の必要性を認識し始めました。

第一次世界大戦後の国際主義者は、自分たちの運動が画期的なのは、文化的、知的、心理的底流が国際秩序の土台であることを強調する点だと考えた。すなわち、平和と秩序はその根底においてあらゆる国の個人の思考様式に依拠するものであり、その思考様式とは、安全保障や、法的、経済的な問題を超越して一国の国益を世界の公益と積極的に結び付ける考えである。(p.76)

国益と世界の公益を結びつける」という考えが大変興味深いです。知的協力の連帯がいわば国際公共財として認知され始めたということではと思います。

その代表格がジュネーブに設立された知的協力国際委員会です。1926年にはその関連組織として国際知的協力研究所がパリに設立され、またその各国内機関も各地に設置されていきます。同委員会は戦後UNESCOに発展的に継承され、日本の国内委員会は国際文化振興会(KBS)設立に影響を与えます。しかしその名称からわかるとおり、これらの連帯はあくまで「知識人」が担い手でした。

他方で、大衆にも目を向けなければならないという認識は当初から文化国際主義者の中でもあったと指摘しています(p.86)。その例として筆者は映画、ラジオ、教育の3つを挙げています。特に3つ目の教育には留学生の交換もありましたが、その嚆矢として1908年にアメリカが、義和団事件賠償金の還付金で始めた中国の留学生招聘事業は重要だと思います(なお、その留学生の予備教育機関として設立されたのが清華学堂、現在の清華大学です)。日本もこのモデルを取り入れ、およそ15年後にはなりますが、中国を対象に対支文化事業(東方文化事業)を始めます。筆者はこれを「当時文化事業を専門とする政府機関としては世界最初のものであった(p.91)」としています。

また、この時期大衆文化として広まったのは主にアメリカの文化だったことも見逃せません。この点で「新たに認知された国際主義は文化的アメリカニゼーションと実質的に等しいものであった(p.102)」。この点は、渡辺靖『沈まぬアメリカ――拡散するソフト・パワーとその真価』で指摘されているアメリカ文化の浸透力(そしてそれは「アメリカという国家の文化」と言えるのか)という論点とも通じているように感じます。

いずれにせよ、いわゆる戦間期のこの時期、文化国際主義は国家を超えた枠組み、そして世界大の枠組みへと一気に開花したと指摘されています。

 

しかし、1930年代になるとその様相は一変します。世界恐慌に端を発して地域ブロックの形成が進み、国家の壁が再び高くなり始めます。また、イタリア、ドイツ、日本の枢軸国は全体主義的な国家体制を構築し、きなくさい時代に入っていきます。

しかし筆者はそのような時代にあっても文化国際主義の実践を図った者はいて、このような時代だったからこそ彼らの動きを見逃してはならないと唱えます。

それゆえ、世界各地において国際協調や国境を越えたコミュニケーションという理想が国家主義によって蹂躙され葬りさられていたときに、国際主義者が文化的領域を中心に献身的活動を継続していたことが注目されるのである。[…]多くの国の指導的知識人や文化交流の担当者は、国家主義が再燃したときでさえ、国際機関には活動の余地があること、そして、国際機関が戦争や侵略の災禍を防ぐには微力であったとしても、少なくとも人道主義という深遠なる理想の証としてその存在を維持できることを、あたかも世界に知らしめるがごとく、根気強い地道な努力を重ねたのであった。(p.126)

その例としてフランス、ドイツの間の教科書改訂共同作業や国際連盟による中国との間の学生交流や専門家派遣事業を挙げています。この信念は本当に学ぶべきもので、こうした「危機の時代」に行われた交流事業の事例を深く知りたいです。

他方でこの時期、「国際関係への文化的アプローチ」が国家を主体として行われるという新たな潮流も生まれ始めました。いわゆる「文化外交」の登場です。1938年にアメリカは国務省内に文化関係局を設立します。また、イギリスは1934年に半官半民の機関としてブリティッシュ・カウンシルを設立します。これは、ファシズム全体主義、さらにはソ連による社会主義というイデオロギーが世界へ膨張する動きを見せる中で、民主主義やリベラリズムといった価値観も発信していかなければならないという必要性があったためとしています。

一方で、日本も奇しくもイギリスと同じ1934年、国際文化振興会を設立します。また、日本は中国への侵略戦争を「自らの対外政策を文化的観点から構築しようと模索してい(p.148)」ました。1938年の東亜新秩序宣言「東亜ニ於ケル(中略)新文化ノ創造、経済結合ノ実現」はその一例です。ここでは先に述べた日本が「東洋文化の盟主」であり、中国もそれに与させなければならないという論理が働いていました(芝崎厚士『近代日本と国際文化交流――国際文化振興会の創設と展開』など)。いわば「文化」が侵略の論理を覆うヴェールとして機能したのであり、「その意味で、文化は国際主義の担い手としてではなく、帝国主義の手段として考えられていた(p.148)」。こうした動きはドイツにも見られました。

戦間期、そして第二次世界大戦に至るこの時代、ナショナリズムへの回帰が見られ戦争が勃発した国際情勢の中で懸命に文化国際主義の実践を試みた人々がいた一方で、文化が政治・外交の手段として利用されるような動きも見られ始めました。「文化のひとり歩き」という章題はまさに的を得ていて、「文化」が各アクターによって都合のいいように使われてしまったとも言えると思います。

 

WW2ののち国際連合やUNESCOといった機関が設立される中で文化国際主義は普遍化されたかのように見えましたが、他方で新たな課題にも直面したとしています。一つはとりもなおさず米ソの冷戦対立でした。「文化」はここでもプロパガンダイデオロギー広報として利用される側面もありましたが、一方でこのような冷戦構造があったからこそ、国境を越えた連帯を育まなければならないという発想から種々の交流事業が促進される面もありました。アメリカによるガリオア・プログラム、それを継承したフルブライト交流事業はその顕著な事例です。

しかし筆者は冷戦構造以上に、「それまで「ひとつの文化」を求めてきた文化国際主義に、第三世界が突き付けた挑戦は冷戦よりもはるかに深刻(p.198)」だったとしています。どこか西洋中心のところがあった「文化国際主義」、そしてそれが措定する「文化」という概念に、いわゆる第三世界の国々も与させていかなければならないという課題が浮上しました。これは言い換えれば「国境を越えた価値の共有という意識を保持したまま、文化的多様性を受け入れていく可能性を追求することであった(p.209)」。

これは骨の折れる作業ではありますが、筆者は以下のとおり展望を示しています。

もしも単一方向主義ではなく多方向主義な交流を進展させ、環境、人口等の世界的な課題に処理するために、世界のあらゆる文化的伝統の代表者が開かれた知的交流を維持し、同時に世界の多様な地域を代表する非政府の多国籍組織が強化されていくならば、文化国際主義は現代史の渾沌とした時代を生き抜き、相互依存が実行される協調的な共同体への道を示すことができるだろう。このような視点からすれば、文化国際主義の前に立ちはだかる最大の障害は、人間の多様性というよりも、国家主義的で視野の狭い自国中心主義であり、また、西洋と第三世界の対立そのものというよりも、両者が持っている排他的な態度であろう。(p.214)

人種や言語、文化の違いといった多様性よりも、むしろ視野狭窄な自国中心主義が文化国際主義の最大の障壁であるという指摘は、今もまさに妥当する至言だと思います。

 

終章では、国際関係史研究のアプローチは、大きく対外政策や戦略的決定がなされたプロセスを公文書等から詳細に検討する政策決定アプローチと、ある国内部の政治的、社会的、知的な環境から当該国家の対外政策およびそれを取り巻く国際関係を研究するアプローチに二分されるとした上で、本書は後者のアプローチに文化という視点から接近したものであることが述べられています。

本書のタイトルからもわかるとおり、筆者は文化国際主義を権力政治に対置しています。そして、

[…]あらゆる諸国における文化国際主義者は、文化的な国際主義者や権力政治的国家主義者に対抗する必要がある。つまり、国境を越えた文化的つながりの可能性を否定するような井の中の蛙的思考に立ち向かい、また同時に、軍事的要因を優先する政策への執着に異議を唱えるべきであろう。(p.232)

価値と関心を共有するという普遍性、変転する流行思想に妨げられることなく国境を越えたつながりと協調を推進することの永続性、国家の政策や権力政治的利益から距離を置く自主独立性、といった諸原則ができる限り多くの国で守られるならば、その行く手には、文化が中核となるような国際秩序が必ずや出現するに違いない。(p.232)

 と述べ、本書を締めくくります。

 

本書の日本語訳が出版されたのは1998年と、今から20年以上前です。『日本と中国のパブリック・ディプロマシー――概念変容に伴う新たな競争』で張雪斌先生が指摘されたように、2000年代以降、日本の「文化」と政治・外交を取り巻く政策には概念の変容――「文化」による競争やソフト・パワーの活用が生じており、文化国際主義の観点からすれば、新たな挑戦と言えるのかもしれません。

また、あたかも世界恐慌のときのように、新型コロナが蔓延する現在、国境の壁はおそらく戦後最高レベルに高くなり、自国第一主義の風潮もこれまで以上に見られます。もちろん国民の生命や健康を守るのが国家の役割なので、ある意味それはあるべき姿かもしれませんが、重要なことはそれが国家同士の対立、ひいては戦争に発展しないことであると思います。人類が叡智を結集する必要があるこの局面においてこそ、狭い「国益」に囚われない、まさに「国際主義」的な発想を、各国のリーダーたちには持ってほしいと願うばかりです。

そしてその潮流の中で、自分はどう振る舞うか。入江先生の言葉と指摘は、現代においてもなお色褪せず響いてくるものがありました。

(読書記録)李妍焱『中国の市民社会――動き出す草の根NGO』岩波新書、2012年

中国の市民社会――動き出す草の根NGO (岩波新書)
 

 調子がいいので(久しぶりにブログを書く気になったので)もう一本。中国にNGOってあるのだろうか、どんな活動をしているのだろうかという疑問から手に取った本。Kindle版。

章立ては以下のとおり。

はじめに 「予想外」の中国へ

第一章 中国社会に「NGO人」登場

第二章 草の根NGOの戦略

第三章 ソーシャル・ビジネスの可能性と隘路

第四章 市民社会の底力

おわりに 個人として、そしてNGO人同士で

「はじめに」では、本書が「中国における市民社会の存在とダイナミズムを描き出」すことで、「ステレオタイプの中国認識から脱却し、「民間」の変化から中国社会の構造的な変動の可能性を捉える」、「「市民社会」のより柔軟で実践主義的な理解を提唱し、地域性を反映した多様な市民社会を構築することの重要性を主張する」ことが本書の目的であると述べられている。

第一章ではまず、「中国に「市民社会」はあるのか?」という問いから始まる。選挙を通じて国政に対して国民が意思を表明するという民主主義は周知のとおり存在しない。しかしそれは必ずしも「市民社会」が存在しないことを意味しない。

市民社会の伝統を有さない国においても、社会主義を標榜する国においても、国家が公共の問題をすべてコントロールできない以上、市民社会の存在が現実的に可能となる。(位置146)

筆者はここで「市民社会」を、「公共的な事柄に関する討論と決定に人々が、自らのイニシアティブによって参加する権利、仕組み、及び文化」をそなえている社会」と定義している(位置189)。そしてその構成要素として、

①参加する権利  ②参加の仕組み  ③参加の文化

を挙げている。この3つの要素が歯車として回り始めることで「市民社会」が機能する。①と③については中国では限られているが、②の仕組みについては、1990年代後半からNGOやネットワークが登場してきている。

それらNGOに、筆者は「草の根」という枕詞を冠している。これは、中国にはいわゆる「官製」NGOも多く存在するためである。90年代以降、若者を中心に草の根NGO設立の動きが見られた。

そのきっかけとして、1995年に北京で開催された「世界女性会議」を挙げている。ここでNGOフォーラムが開催されたが、政府担当者は初めてNGOという言葉に接することとなり、女性を取り巻く問題に関心のある中国人にもインスピレーションを与えた。この1990年代後半に設立されたNGOは「初代(第一世代)草の根NGO」と呼ばれ、93年設立の「自然之友」がその第一号とされる。設立者の梁从誡はなんと梁啓超の孫。

ほか、「地球村」「農家女」「紅楓」「緑家園」などが知られる。これらはいずれも環境問題、女性の権利の問題、出稼ぎ労働者の労働環境など、中国社会を取り巻く社会問題に対しアプローチをしていた。

この第一世代の特徴として筆者は、「自然之友」の梁もそうだが知識人(中国語では「知識分子」)であったことを挙げている。こうしたNGOはいわば知識人を筆頭とした「結社」であり、管理の対象となる(白蓮教徒や太平天国義和団など「国家転覆」を図った団体はいずれも「秘密結社」であり、共産党も最初は秘密結社だった)。

少々長くなるが重要なので詳述すると、これらNGOの法人格取得には「業務主管と民政登記による「二重管理」の登記制度」が障壁となる。

中国では、登記せずに任意団体として活動するのが、違法となる。しかし、民間結社として正式に登記するには、「民政」という行政部門の許可を得なければならない。「社会団体」(結社)「民間非企業単位」(単位=組織、何らかの社会サービスを提供する事業体)「基金会」(財団)という三種類の登記資格が用意されている。そのいずれも、行政機関ないし準行政機関といった「管理する資格があると認められた」組織に、業務内容の「主管単位」になってもらい、主管単位を通じて登記を申請しなければ、登記手続きすらできない。(位置412)

つまり、ある団体が登記をするにはそれを主管する行政組織を見つけなければならず、さらに登記部門に認可されるという二重の審査が必要となる。そのため、主管する行政組織とのパイプが重要となる。

一方で、2010年に広東省の深圳では直接登記を可能とする制度改革が行われ、また近年、長年の活動実績により民生部門を直接主管単位として登記に成功した草の根NGOも出てきている。

2000年代に入ると中国の経済成長が顕著になるが、同時に格差の拡大や環境問題など、多様な分野における社会問題も噴出し始めた。こうした背景が「第二世代草の根NGO」を生みだしていく。第二世代の特徴として筆者は「専門性」と「当事者性」、つまり問題に直面しているコミュニティに直接入り込んでいき、自らの専門性と現場での問題をうまく結びつけるようなスタイルを挙げている。こうした団体の例として「社区参与活動」「北京緑十字」「公衆環境研究センター」「北京工友之家芸術団」などがある。

こうした新たな団体の誕生を受け、中国政府は規制するのではなく、管理し把握するという方向に舵を切った。2004年の共産党全体会議で「社会を創り上げる」ことを共産党及び政府の新たな「任務及び目標」とし、すべての民間組織の活動もこの「社会建設」の一環として位置付けられ、それに貢献することが求められるようになった。

こうした市民社会における組織を示す用語として、中国語ではNGONPO、社団、民間組織、社会組織、公益組織のおおよそ6種類がある。政府はNGOという言葉の使用を避ける傾向があり、200年代半ばは先の「社会建設」の流れもあって「社会組織」というタームが好まれたが、政府もそうした社会組織への委託を始めると、広く「公益組織」というタームも使われ始めたとしている。

第2章では実際に草の根NGOがどのような手法で現場に入っていき活動を展開していくか、その事例が描写されている。詳述はしないが、単なる行政の「手足」となるのではなく、自らの専門性を生かして行政へも「うまみ」を提供しつつ、巻き込みながら実地の課題解決を図っていくという手法は大変興味深く、勉強になる。

第三章では、2000年代後半になって登場した社会起業家(ソーシャル・ビジネス)がどのような視点で社会的課題の解決を図っていったかの事例が分析されている。

第四章ではこれまでの議論の総括として、中国における草の根NGOの課題との闘い方について述べられている。

筆者の指摘するように、草の根NGOのしなやかかつしたたかなスタンスが印象に残った。自らの活動を円滑に行うべく制度的改善を期待する日本のNGONPOと対照的に、中国のそれらは制度的な改善は期待できないため、自ら手を組み、社会的課題の解決に積極的に結び付けていかなければならない。また、社会保障からこぼれ落ちた人々に手を差し伸べる日本の団体とは異なり、保障の在り方そのものの変革を求めていくことも対照的だとしている。

また、私含めおそらく多くの日本人が中国に「市民社会」のようなものが存在することに意外性を感じると思うが、社会における課題にアンテナを貼りそれについて議論して参加するという思考はむしろ中国の方が抵抗がないと指摘する。

若い世代に多少の変化が見られるが、大概の中国人は、天下を考え、天下のために自らが動くという思考様式と行動様式に慣れ親しんできた。「天下」の出来事(すなわちさまざまな政治的、国際的な事柄)は、日常的に人々のさりげない会話にも登場し、自分のことや家族、友人たちのことと共に、人々の日常的な思考のなかにある。これは、公共の問題に自らの意志で参加する市民社会と相通ずるところがある。(位置2605)

日本よりも中国のほうが、公共(「天下」)に自らの日常を結びつける発想に抵抗がない。参加の文化を育むには、日本では、いかに人々の目を公共に向けさせるかが問われ、中国では、いかに「天下」思想を活かしつつも、多様性を容認する参加の仕組みを作っていくのかが問われよう。(位置2619)

中国では伝統的に「官」の役割が限定的で、人々は宗族や各種産業の中間組織や相互扶助によって公的サービスを確保してきたという側面があるが、公共や「市民社会」という概念にも親和性があるという指摘は、本書で最も驚いたポイントの一つである。

また、「おわりに」で述べられている、中国のNGO人と比較することで見えてくる日本社会の特徴にもドキリとした。

例えば、「共産党独裁」「社会主義」などの固定観念にきつく縛られがちなところ。変化と変革を好まず、海外の社会変動の激しさには鈍感でついて行けないところ。国、社会、業界、組織、個人に至るまで、何がほしいのか、どんな状態が望ましいのかについて議論しようとしないところ。ビジョンを掲げるのが苦手なところ。ビジョンがないために、戦略も首尾一貫性がなく、行き当たりばったりであるところ、うまくいかないことを環境や場のせいにしがちなところ。自らが唱える正義を強く訴え、社会的影響力を獲得しようとする努力や工夫が全く足りないところ、等々。(位置2811)

自分の思考にも、自分が所属する組織にも大いに妥当する部分がある。せっかく中国にいるのだから、積極的に交流しながら彼らの姿勢を学んでいきたいと思う。

根っこから日中の相互理解を深め、国民感情を改善していきないなら、社会問題、公共の問題に本気で取り組む草の根キーパーソンの間で、顔が見え、体温が感じられる人間くさい交流と連携関係を地道に作っていかなければらない。(位置2821)

そのとおりだと思う。そうした機会の創出にまさに取り組んでいかなければならないということを学ぶことができた一冊だった。

(映画記録)『天気の子』 ※注・ネタバレ含む

【注】以下ネタバレ含むので、これから見る予定の方はご留意ください。

 

11月1日から中国でも公開が始まった、新海誠監督『天気の子』を見てきた。平日だったためか観客は7、8人しかおらず、ほぼ貸し切り状態。日本語音声中国語字幕。

 

感想を結論から言うと、今年見た映画のなかで最も心を揺さぶられた。新海監督の作品は『秒速5㎝』『言の葉の庭』『君の名は。』しか見ていないが、個人的にその中でも最も感動した。

一言で言うと、「あまりにも美しいディストピア映画」だと思う。

 

真夏にもかかわらず雨の日が長期にわたり続いている東京が舞台。人々は続く雨に心をふさいでいるが、祈ると必ず晴れ間が差す「100%晴れ女」こと陽菜(ひな)が、同じく主人公で離島の実家から東京へ家出してきた少年・帆高(ほだか)とともに「天気を晴れ」にする仕事を始める。

が、「必ず晴れにできる」その力は無制限に使えるわけではなかった。仕事を休止していると、東京は超特大低気圧による豪雨に見舞われ、そして夏にもかかわらず雪が降るという「観測史上初の異常気象」に襲われる。

そのようななか、陽菜は自らの身体を「人柱」として天に昇ることで「晴れ」をもたらす。しかし彼女を愛おしく思う帆高は、彼女を救うべく奔走し、命からがら彼女を天から呼び戻す。しかし結果、東京は雨が降りやむことのない地域となり、街の大部分が水没してしまう。そのなかで彼女と未来を生きていこうと「選択」する。

 

まず、作中では「雨」が、人々(特に子どもたち)の日常や健康的な暮らしを阻むものとして象徴されている。が、そうしたものは今や雨だけではない。近年の夏の酷暑や、ほとんど毎年のように来るようになった大型台風、ここ北京で言えばPM2.5などの化学物質もそうしたものだろう。人により見解は異なると思うが、私自身はこうしたものは他でもない人間の際限のない経済活動が引き起こしたものであると思う。

そうした「雨」から人々は、陽菜という「晴れ女」に救いを求め、その代償として金銭を支払う。陽菜が「晴れ」を呼び寄せれば、人々は歓喜し、彼女を崇める。

しかし、それは陽菜自身が自らの身体を犠牲にして行う行為であった。それに気づいた陽菜と帆高はその仕事やめるが、結果東京は未曽有の災害に見舞われる。

すると、身よりのない子どもである陽菜や帆高は、警察の補導や保育所など、「社会による管理」の対象となる。未曽有の災害のなかでも、陽菜の弟・凪を含む三人は追われる対象となるのだ。「晴れ」を呼び寄せることで崇められていたころとは雲泥の差の境遇である。

陽菜は結局自らを犠牲にして「晴れ」を呼び戻すが、人々にとって彼女のそうした行いは認知されない。「あー、元通りになってよかった」と呟くだけである。それを知る唯一の人物である帆高と凪は、警察と児童相談所という「管理」の対象を逃れて陽菜を救い出す。

 

今の我々も、どこのだれかわからない「晴れ女」(作中の言葉を借りれば「人柱」)にすがっているのではないだろうか。あるいは、一人の人間として人生を歩んでいるそうした人物の生を、犠牲にしてはいないだろうか。それは他ならない、未来を生きる自分たちの子どもたち、あるいは孫たちではないだろうか。

未来の彼らも無論、豊かな世界で豊かな生をまっとうする権利を有する。しかし、彼らは現在を生きる私たちに、その権利を主張して現在の営為を批判することは、タイムスリップでもしない限りできない。たとえタイムスリップできたとしても、「何をおかしなことを言っているのだ」「警察に突き出そう」「身寄りのない子どもは児童相談所へ」「精神科医に見てもらおう」と言われるのが関の山だろう。

彼らは我々と「対話」するチャネルを持たない。「こんな世界でも受け入れて、愛する人と生きていこう」と「選択」するしかないのだ。

これは、「自らの境遇を受入れ、ひたむきに生きる子どもたち」という美談で片づけるには、あまりにも酷ではないだろうか。

彼ら・彼女らも愛する人とこの世界で生きていく権利を有する。幸せの度合いのみならず、昨今の災害の大型化や異常気象(と呼んで差し支えないだろう)に鑑みれば、生そのものが脅かされている。

そうした未来を変えることができるのは、今の私たちしかいない。

 

映画は、二人が愛を誓うような一見「ハッピーエンド」な雰囲気で終了する。しかし、その結末はディストピアの到来にすぎないだろう。この不協和音的なエンドが、あまりにもモヤモヤとした余韻を残す。

こうしたディストピアでこれから生きていくのでよいのか。これからの未来の人々を生きさせてよいのか。この作品をハッピーエンドとして済ませられるのか、どうすればよいのかが、突き付けられているのではと思った。

 

全体が、新海作品ならではの美しいアニメーションで描かれており、特に「天」のシーンはその美しさに息をのんでしまう。こうした美しい描写を楽しみつつ、突き付けられたこの課題について、今を生きる一人の人間として考えていきたいと思った。

(読書記録)渡辺靖『沈まぬアメリカ――拡散するソフト・パワーとその真価』新潮社

沈まぬアメリカ 拡散するソフト・パワーとその真価

沈まぬアメリカ 拡散するソフト・パワーとその真価

 

 文化人類学アメリカ研究を専門とする著者による、“American Legacy”についての論考。章立ては以下のとおりです。

第一章:ハーバード――アメリカ型高等教育の完成
第二章:リベラル・アーツーーアメリカ型高等教育の拡張
第三章:ウォルマート――「道徳的ポピュリズム」の功罪
第四章:メガチャーチ――越境するキリスト教保守主義
第五章:セサミストリート――しなやかなグローバリゼーション
第六章:政治コンサルタント――暗雲のアメリカ型民主主義
第七章:ロータリークラブ――奉仕という名のソフト・パワー
第八章:ヒップホップ――現代アメリカ文化の象徴
終章:もうひとつの「アメリカ後の世界」

 本著は2015年の刊行。トランプが大統領として選出されたのが2016年なのでその前に議論にはなりますが、「アメリカは今でも“覇権”と言えるのか」「アメリカの影響力はいまだ健在なのか」といった議論は、現在でも多く起こっているのではないかと思います。

ソフト・パワーという側面から、全世界を覆うレベルで広まっているのではないかと思われるアメリカの影響力の光と影について、本書では論じられています(筆者はそれを「アメリカン・レガシー」と呼称しています)。

この本を読んで感じたことは、「アメリカの影響力は依然として健在。しかしそれが「アメリカ」というナショナリティーに色付けされたものでは必ずしもない。というより、「アメリカ」のナショナリティーそのものが世界のどこへでも沁み込んでいく普遍性を持っているからこそ影響力があるのでは」ということです。

例えば、第五章で紹介されている子ども向けテレビ番組「セサミストリート」の事例を見てみます。

同番組には、「人種や身分の分け隔てない教育」という核心を成す信条が込められています(p.109)。またその信条は、幼いころから教育の形で施すことで「差別や偏見、無知は知性や理性の力によって克服し得る、いや克服しなければならない」という「アメリカ流のリベラリズム」の発想が底流しています(p.113)。

この信条を押し付けるかのごとく他国へ流布させているわけではありません。セサミストリートアメリカのパブリック・ディプロマシーの一環を成す要素ですが、同番組を制作するセサミ工房は、現地の情勢を綿密の調査し、現地のテレビ局や専門家と幾度にもわたって協議を行いながら、その土地の教育的課題にローカライズされた形で現地版のセサミストリートを作成していきます。

 すなわち、「「教育」という普遍的なテーマを軸にしながら、きめ細やかな現地化を通して世界各地に広まって」いきます。つまり、一つのパッケージとして流布されていくわけです。この普遍性・一般性・パッケージ性がアメリカ発の文化の強みなのでしょう。これは「文化帝国主義」という言葉で形容されるような手法とは相いれないのではないでしょうか。

また、そうしたパッケージを当てはめる形が妥当なのか、それも各国が直面している課題です。こうした葛藤を引き起こすこともまた、アメリカン・レガシーの一つであると筆者は指摘しています。

 この点で、アメリカの文化は依然として大きな影響力がありそうです。しかし、そこに「アメリカ」というナショナリティーが付与されているかと言われれば、やや疑問です。つまり、「アメリカの文化だから」受け入れるわけではなくて、単に「いいパッケージだから」受け入れられるのではないでしょうか。

この「受け入れやすさ」こそ、これら文化の強みなのではと思います。それもそのはず、アメリカの文化は、ある意味世界中からの「移民」によって形成されたものです。それゆえ、世界のどこででも流通する普遍性というものを最初から兼ね備えているのではと思います。ブロードウェイのミュージカルも、「英語がそこまでわからなくても面白い」という「誰でも楽しめる」点にその魅力があります。

 筆者はアメリカを「巨大国家を絶対的な権力者ではなく「市民=デモス」が主体となって統治するという、人類史上類を見ない「実験国家」」と形容しています。この「市民」主体という点に、この普遍性のカギがあります。市場ベースで政策もコンテンツも広まっていくという価値観にも顕れているとおり、この「市民」に受け入れられなければ何事も成り立ちません。そしてこれら「市民」は世界中から集っており、きわめて多様性に富んでいます。したがってそのコンテンツも多様性に鑑みたものとなります。

 この際立った特徴が、アメリカ文化が世界各地へ沁み込んでいく大きな要因なのではないでしょうか。いわば「理念の輸出」とも言えるでしょう。昨今のパブリック・ディプロマシーでは自国の価値観やナショナリティーを大きく打ち出すものも見られますが、こうしたパッケージ性、あるいは対象国という「ハード」になじむように「ソフト(パッケージ)」を考えていくという意味での「ソフト・パワー」という在り方にも着目すべきではとも思います。

とはいえ、グローバリズムの反作用を振りかざすようなアメリカの現政権が、こうした理念の輸出を今後どう行っていくのかは、また別の議論が必要なのかもしれません。

(読書記録)青木保『異文化理解』岩波新書

異文化理解 (岩波新書)

異文化理解 (岩波新書)

 

 文化庁長官を歴任し、国立新美術館の館長を務める筆者による2001年出版の本著も、この分野ではもはや読み古された名作ですが、今更ながら読みました。章立ては以下のとおり。

Ⅰ 異文化へ向かう

Ⅱ 異文化を体験する

Ⅲ 異文化の警告

Ⅳ 異文化との対話

 Ⅰでは、冷戦後の世界においてグローバル化がますます進む中で、「文化」という要素が政治・経済に比肩するほどますます重要になりつつあることが指摘されています。

冷戦構造下では、東西の強大なイデオロギーによって、その構成員の文化の違いは相対的に捨象され、その相違はあまり問題になりませんでした。しかし、その対立の構造が崩れると、各国・地域の文化は直接的に接触し、その相違が軋轢や対立を引き起こすこととなります。

もちろん、文化の接触は、明治初期の日本が西欧文化に触れたように、またはヨーロッパでシノワズリジャポニスムといった東洋趣味が流行したように、それまでの世界でもありました。しかしそこでは、ときには「憧れ」となり、ときには「差別」となり、文化を上下の軸から垂直的に見る見方が中心的でした。現在のグローバル化世界においては、そうした両極端的な見方では通用しなくなってきていると指摘します。

 現在のように異文化をどう捉えるかが非常に重要になってきた時代においては、近代日本のように憧れと軽蔑といった二元的、あるいは好か悪かといった両極端の捉え方ではすみません。(中略)さまざまな異文化についての憧れは何によるのか冷静に判断するとともに、大したことはないと片づけてしまった文化についても、不当にも貶めて捉えてしまっているところがないかどうか、改めて検討しなければならないと思います。(p.40)

Ⅱでは、文化人類学者である著者が、タイで参与観察として実際に僧になった体験を引き、異文化を体験することの重要性を指摘しています。著者の、タイで実際に身をやつして現地の仏教文化に入り込んだ体験は壮絶ですが、とても面白いです。

 異文化を体験する際にキーとなる概念として、まず一つに「境界の時間」というものが挙げられています。例えばタイでは、僧になって体験した仏教の時間、土着の信仰による時間、そして「時計」というもので測られる近代的な時間という3つの時間が並行して流れています。日本でも、日本特有の古来の時間と近代的時間という2つが流れています。

こうした時間の流れ方は文化によって多様です。異文化理解とはこうした異なる時間の境界に触れ、体験することであると指摘しています。これは何も留学や駐在をせずとも、旅行や出張でも体験ができます。

もう一つは「儀礼」です。祭りや通過儀礼など、それぞれの時間における「区切り」に呼応する形で、象徴的なイベントとして種々の儀礼が行われます。そうした儀礼に接することも、異文化に接触する機会であると述べています。

 Ⅲでは、イギリス映画『インドへの道』やエドワード・サイードの『オリエンタリズム』を引きながら、異文化に対する偏見や無知、ステレオタイプが招く危険性について考察しています。

近代日本もそうであったように、異文化には憧れと軽蔑が憑き物です。それは人間の本質と言えるかもしれません。しかし現代においては、異文化に対する両極端的な軽率な態度や無知が、深刻な対立を惹起することもあります。

日本文化はソトからの文化をウチに取り込み、それを異文化と感じさせないぐらい消化して自分化に取り込むことで発展してきました。ゆえに、異文化というものを意識する機会が日常的には多くありません。こうした無関心が、外国では大きな誤解や悪感情を生むことも間々あります。

 また、ステレオタイプも、人間がさまざまな事象を効率的に情報処理する脳の働きであるため、それを抱いてしまうことはある意味仕方がありません。また、日本に対してステレオタイプが抱かれていることもあります。しかし大切なことは、そうしたステレオタイプを抱いてしまったのは、抱かれてしまったのは何故かという背景について考察することだと、筆者は指摘します。ステレオタイプを無批判に呑み込むのではなく、疑い、その根拠を探ることが、他者や異文化を理解する最初の一歩であると指摘しています。(p.116)

最後、Ⅳでは、文化における「対話」の重要性が説かれています。

現代の文化において「純粋な文化」というものはありません。古今東西、さまざまな文化の要素が組み合わさって、あるいは内に取り込まれて、自文化も成立しています。

こうした、文化の「交わりながら発展し、形づくられていく」側面を筆者は「混成文化」と呼んでいます。文化の混成度合に応じて、その文化の固有性というものが生まれていきます。

こうした文化の特長を踏まえ、筆者は最後に「自文化を通した異文化理解に到達する」ことの重要性を強く主張します。自分たちの文化は純粋に自分たちの要素のみで成り立っているわけではなく、種々の文化が混成することで、その固有性が生まれています。であれば、自文化を見つめることで、そのなかさまざまな異文化の要素が潜んでいることに気づくはずです。自文化と異文化もつながっている、そう認識することで、憧れや軽蔑の視点―異文化を単に「他者」とみなす視角―を越えて、心からの理解に到達することができるはずです。

 2001年のこの著書で筆者は、「いずれ(アジアの)各地でふるさと探しが始まり、「自文化の発見」が社会の主要なテーマになる時代ややってくると思います」と指摘していますが、まさに現在、そのような流れが日本も含め、社会全体を覆っているように感じます。

自文化にノスタルジックに回帰すること自体は、この急速なグローバル化に対する反作用として、ある種自然なことかもしれません。しかしそれが、偏狭な自文化中心主義やナショナリズムに回帰してしまっては近代の歴史を繰り返すことになります。それはハンチントンの指摘する「文明の衝突」にも似た事態に行きつく可能性もあります。

日本の文化が世界に誇るものであることに異存はありません。しかし、何も日本の文化のみが世界に誇れるわけではなく、各国・地域・民族すべての文化が、世界のなかで尊重され、かけがえのない文化であると思います。

また、日本の文化といってもそれは「日本」という域内の要素のみで発展したわけではなく、多様な文化が混成されて形づくられてきたものであり、そうした視角から文化を見つめ直すことで、異文化理解の契機にもなるのではないでしょうか。

異文化理解というと、日常生活とは縁のない遠いもののように感じられるかもしれません。しかしそのきっかけは自分たちの文化を見つめ直すことにあります。これからますますヒト・モノ・カネ・情報の流れがボーダーレス化し、社会もますます多様になっていくなかで、こうした視座から文化を見つめることは避けて通れないと、改めて感じました。

(読書記録)マックス・ウェーバー(中山元訳)『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』日経BP社

 このあまりにも有名な古典について、いつものごとく感想をまとめるのもどうなんだろうとは思いますが、所感の記録のためにやってみたいと思います。日経BP社から出た中山元訳で読んでみました。章立ては以下のとおりです。

第1章 問題提起

 第1節 信仰と社会的な層の分化

 第2節 資本主義の「精神」

 第3節 ルターの天職の観念――研究の課題

第2章 禁欲的プロテスタンティズムの職業倫理

 第1節 世俗内的な禁欲の宗教的な基礎

 第2節 禁欲と資本主義の精神

第1節では、ドイツ内の各地域における職業統計を調べてみると、資本家や企業所有者、そして教養の高い上層の社員たち―「近代的な企業のスタッフで技術的な教育や商業的な教育を受けている人々」―には、「プロテスタント的な性格の強い人々が圧倒的に多数を占める」という気づきをもとに、問題提起を行います。

これに対しウェーバーは、現世的傾向の低いカトリックに対し、プロテスタントには現世的利益追求を肯定する内的親和性があり、それは純粋に宗教的動機によるものであるのではないか、との仮説を立て、以下それが論証されていくという形です。

 第2節では、「資本主義の『精神』」とは何かとの定義が行われます。章題にもあるとおり「精神」と鍵括弧が振られているのがポイントです。

資本主義における核心的な思想について、「利益を獲得することが人生の目的そのものと考えられているのであって、人間の物質的な生活の欲求を充足するという目的を実現するための手段としては考えられていない」という点を指摘しています。

前資本主義の世界では、「その日生きること」が生産の目的であり、そこには余剰や利益という考えはありませんでした。もちろん蓄えという発想はあります(そうでないと閑農期に生きられません)。それでもやはり目的は「生きること」です。相応の生活で事足りた、ということでしょう。

しかし、資本主義の思想では「(無限に拡大していく)物質的欲望を充足すること」が目的とされます。その日生活するだけでは足りない、もっともっと欲望を充足させていくことが是とされます。

しかし、この発想は「伝統主義」、すなわち「人は『生まれながらにして』金のために働くのではないし、できるだけ多くの金を稼ぐために働くのではない。ただ生きることを、しかもそれまで慣れてきた方法で生きることを望むのであり、それに必要なだけ稼ぐ」という発想とは対峙します。この伝統的発想を越えるには新たな価値観が必要とされます。資本主義的行動が是認される、あるいはそうしなければならないと行動に駆られる価値観―すなわち「精神」―です。

その精神をウェーバーは「天職(ベルーフ)」であると指摘しています。すなわち「仕事が絶対的な自己目的であるかのように労働する心構え」です。この価値観が普及するのには「宗教的教育」が大きな役割を果たしたと指摘します。「人間が存在するのは仕事のためであって、人間のために仕事があるのではない」という、ある意味コペルニクス的な発想転換です。

こうした転換が発生した事実を、歴史的に説明する試みが、本著の眼目となります。

第3節では、天職観念の萌芽をルターの思想に求める論が展開されます。

贖宥状の販売や修道院での生活など形式化・形骸化したカトリックの思想に対し、「人は信仰によってのみ義とされる」と主張し、宗教改革の中心的人物となったマルティン・ルター。彼は「修道院で過ごすような生活は、神の前で自分を義とするためにはまったく価値のないものであるのは自明」と考えました。「現世の義務から逃れようとするものであり、利己主義的でおもいやりのない心から生まれたもの」だとします。

対して、「世俗的な職業労働」に対し、「隣人愛が外的な行動として表現されたもの」だとしています(ウェーバーはこの発想を「奇妙な論理」と両断しますが)。この、世俗の職業生活に道徳的な性格をあたえたことを、ルターの業績のうちで後世に最大の影響をもたらしたものであると指摘します。このルターの論理は、のちのカルヴィニズムやピューリタニズム、メソジスト派などのプロテスタント諸派に底流していきます。

 

このルターによって萌芽した資本主義の精神は、以後どのようにして世界大に拡大していくのか。またそこに宗教による影響はどの程度あるのか。

その論証にあたり、第2章第1節でまず、禁欲的なプロテスタンティズムの担い手として4つの流れを挙げます。すなわち、カルヴィニズム、敬虔派、メソジスト派、再洗礼派から生じた教団(ゼクテ)です。

 そのうち重要なのがカルヴィニズム(カルヴァン派)の思想、とりわけ「予定説」です。フランスに生まれたジャン・カルヴァンによって唱導された予定説は、神によって救済されるかどうかは神によって予め定められている」という恐るべき発想です。つまり、救済されようと聖書を一生懸命読んで、あるいは修行して、「神様助けてください」とお願いしても、仕方がないのです。

人びとは困ります。どうしたら救済されるのか――この段階で、「各個人が、これまで例のないほどの内的な孤立を感じるようになった」とウェーバーは指摘します。

「(予定説によって)人々が教えられたのは、人間は永遠の昔から定められた運命に向かって、一人で孤独に歩まなければならないということだった」。すなわち、「教会や聖なる礼典によって救いをえられる可能性を完全に否定した」のであり、まさに「世界を呪術から解放するという宗教史の偉大なプロセスが、ついに完了した」のでした。

形式的な贖宥状を買いに続け、現世と遮断された修道院で清貧な生活にいそしまなければならないことから解放された点では、「脱呪術化」と言えるかもしれません。しかし同時に前述のとおり、人びとは、自分の運命は神に予定されているというかつてない孤独に陥ったのでした。

どうすれば、自分が救済されるよう神に予定してもらえるか。その手段として現れたのが、ルターによって提起された職業労働の観念でした。労働をし、隣人愛を具現化する行為を行う。こうした労働は次第に、それ自体が「神に望まれていること」「神の栄光を高めること」と解釈されるようになります。それは社会的な利益のために役立つからです(ここでもウェーバーは「非人格的」行為と言い切りますが)。

 自分の運命が神にどう予定されているかを知る術はありません。しかし「自分が『選ばれた者(エレクティ)』の属していることを認識できる」こと、「自分はこんなにやってるんだから大丈夫!」と自己認識できるために、職業労働の価値が高められていきます。

 この、「救いの確証」を得るよう意味が付与されて、職業労働は絶対的な価値観―疑いの余地のない「倫理」あるいは「精神」―となったのでした。その点でカルヴィニズムの予定説は、「心理的に傑出した力をそなえていた」のです。

 こうした職業労働に黙々と従事することはある意味「禁欲的」です。修道院に籠らずとも世俗に属しながら禁欲する、この「世俗内禁欲」は、性質の差はあれどもプロテスタント諸派に共通した思想的バックボーンでした。

最後の第2節第2章で、こうした個々の世俗内禁欲の倫理が、いかに社会全体を包み込む精神と化したのかについて論じます。この「天職」の観念は、次第に経済的な秩序(コスモス)として発展していきます。

職業労働は神の栄光を高めるものです。どうすればそれが最大限に高まるのか。各人の富が増大し、社会が発展していくこと、社会が発展すればするほど神の栄光は高まるというふうに解釈されていきます。富の増大には「合理的な」労働が必要です。すなわち、合理的に職業の義務を遂行することが「道徳的に許されているだけではなく、まさに(神によって)命じられている」という風潮が出来上がります。

 合理的な労働の行き着く先が、実業家のもとに集約的に行われる近代的産業形態であることは想像に難くありません。実業家(資本家)は、労働の倫理遂行の意志を持った労働者を集約する。彼らを雇用し富を生み出すことで、その実業家本人も倫理を遂行したことになる。こうした解釈により、「近代の実業家は、利潤の機会を追究することが神の意志であると解釈されることになって、倫理的な輝きを放ち始めた」のでした。

 ここに、禁欲的な営みとして価値を付与されていた職業労働が、富を獲得すればするほど価値が高まるという凄まじい逆説が起こります。「世俗の職業を弛みなく、不断に、組織的に営むことは、そのままで最高の禁欲的な手段とみなされた」。

しかし、生み出された趣味を娯楽などの消費することも非倫理的とみなされた(人々はあくまで労働のために生きるので、余暇はあくまで労働のための休息期間で、金銭を消費する時間ではありません)ので、余剰は節約により溜まっていきます。その余剰は再生産に投下せざるを得ませんが、これは「資本」に他なりません。こうして「資本」が形成され、資本主義の開花へと至りました。

市民的な職業に特有のエートスが発生した。市民的な実業家は、形式的な正しさという制限を守って行動し、倫理的な令状において咎められるところがなく、財産を使用する際に他人の迷惑になることがなければ、神の完全なる恩寵のうちにあった。そして神から目に見える形で祝福を与えられているという意識をもって、営利活動に従事することができたし、そうすべきだったのである。

それだけではなく、市民的な実業家は宗教的な禁欲の力によって、真面目で、良心的で、異例なほどの労働能力をそなえた労働者を雇用することができたのであり、労働者は労働を神が望まれた生活の目的と考えて、熱心に働くのだった。(p.480)

 「働かなければ神に救われない」――このような精神で労働に駆られる生活は、息苦しい以外の感情を覚えません。ウェーバーも最後の段で、人びとは「鋼鉄の〈檻〉」に閉じ込められていると皮肉します。そして、有名な以下の一文により、本論を締めくくります。

将来、この鋼鉄の〈檻〉に住むのは誰なのかを知る人はいない。そしてこの巨大な発展が終わるときには、まったく新しい預言者たちが登場するのか、それとも昔ながらの思想と理想が力強く復活するのかを知る人もいない。あるいはそのどちらでもなく、不自然きわまりない尊大さで飾った機械化された化石のようなものになってしまうのだろうか。最後の場合であれば、この文化の発展における「末人」たちにとっては、次の言葉が心理となるだろう。「精神のない専門家、魂のない享楽的な人間。この無にひとしい人は、自分が人間性のかつてない最高の段階に到達したのだと、自惚れるだろう。」

 

今から100年前のウェーバーの指摘。「神に絶対服従しなければ」という精神で労働する人はもういないのではと思います。しかし、この「鋼鉄の〈檻〉」は、「がんばることが価値」という見えない圧力となって、今なお社会を支配しているのではないでしょうか。

「一億総活躍」「女性も輝く社会」…活躍しなければならないのか。輝かなければならないのか。こうしたスローガンはそうした目に見えない「鋼鉄の〈檻〉」のなかに、私たちを閉じ込めているのではないかと思います。そしてその檻の中に閉じ込め、「富を生み出すことが絶対的価値」であると措定し、富を生む出す営為に人々を借り出しているのでは、あるいはそのための方便にすぎないのでは、と思ってしまいます。

 どう生きることが「正しい」のか、そんな基準はないと思います。各人が各人らしく生きることこそ、社会の全体的な発展につながるのではと思います(また、社会の発展を個々人が目指す必要はなく、結果としてそうなるのではと思います。人は生まれながらにして「社会的(社会を志向する)」存在なので)。「正しい生き方」を突き付けるのは頭のいいひとでも、ましてや権力を持った人でもなく、それを考えるのは私たち自身です。

この本で指摘されているのは、そうした〈檻〉がいかに克服が難しいかです。目には見えません。また、周りの人々が「絶対的倫理」と信じて疑わないものを疑うのは、なかなか難しいことです。それを可視化し、問題として提起することこそ、彼がその源流の一人とされる社会学の意義なのではと思います。見えない「社会」というものを可視化する、ということです。

またそれは、昨今軽んじられている人文社会科学全体の使命であると思います。見えない〈檻〉を見ようとする眼差しが廃れてはなりません。

 

随所にウェーバーの批判的精神が表われていて、刺激的でとても面白かったです(また、訳文も非常に読みやすかったです)。

 

やはり現在も読み継がれる古典的研究は、どの時代にも通用するメッセージを発し続けているからこそ残る、と改めて思いました。これまでなんとなく避けていた古典ですが、そこに込められた叡智をこれから少しずつ学んでいきたいと思います。

(読書記録)暉峻淑子『対話する社会へ』岩波新書

対話する社会へ (岩波新書)

対話する社会へ (岩波新書)

 

 『世界史との対話』の小川幸司先生がオススメの岩波新書を紹介するページ(コンテンツ|B面の岩波新書|Web岩波新書|岩波書店)で取り上げられているので、kindleで読んでみた1冊。章立ては以下のとおりです。

第1章 思い出の中の対話

第2話 対話に飢えた人々

第3章 対話の思想

第4章 対話を喪ったとき

第5章 対話する社会へ

 「対話」とは何か。筆者は、「戦争・暴力の反対語は、平和ではなく対話」と考えています(位置21)。

自分が自身の考えをただ滔々と語ることばは、対話とは言えません。常に相手とのことばのキャッチボールを意識し、考えを深めていく営み。筆者による明確な定義はありませんが、対話には以下の特長があります。

・対話は、議論して勝ち負けを決めるとか、意図的にある結論に持っていくとか、異議を許さないという話し方ではない。
・対話とは、対等な人間関係の中での相互性がある話し方で、何度も論点を往復しているうちに、新しい視野が開け、新しい創造的な何かが生まれる。
・個人の感情や主観を排除せず、理性も感情も含めた全人格を伴った自由は話し合いをする。
(以上、位置74)

このような対話は、生まれてすぐの子どもが親と行うコミュニケーションに見られるように、「人間の本性にもっとも添ったコミュニケーションの手段」です。だからこそ、「人間と人間の間をつなぎ交流させ、個人を成長・発展させる場であった対話は、民主主義の培養土でもあ」り、「人類が多年の経験の蓄積の中で獲得した対話という共有の遺産を、育て、根づかせることが、平和を現実のものとし、苦悩に満ちた社会に希望を呼び寄せる一つの道ではないか」と提案しています。

第1章では、筆者が人生を回顧しながら、対話と出会った場面について振り返ります。

一番最初の記憶は、幼かった自分を一人の意思を持った人間として扱った祖母の存在だったそうです。また、学者であった筆者の父も対話を重んじました。筆者が父から学んだ、「おカネのためでもなく、地位のためでもなく、ただただ真実を極めようと、好きなことに打ち込むことを最高の楽しみとする人生にとって、それに代わるどんな楽しみがあるというのでしょう。」という言葉は胸に響きます。

また、筆者が子どもだった戦前は、「命令はあるけれど対話がない時代」でした。「自立した個人も対等な人間関係もない軍隊の文化が、社会全体に浸透していた時代」です。だからこそ家族との対話のなかで学ぶことが大きかった。

戦後、自由主義と民主主義のもと、一般の人とも自由な対話の機会が増えました。しかし筆者は、現代における対話の希薄化を重大な問題と捉えています。すなわち、「自主的な議論を許さなかった独裁権力の代わりに、効率性と利潤追求が対話を奪ってしまったのか」と。(位置510)

第2章では対話とはどのようなものかが、筆者の講演をきっかけにある地域で始まった「対話的研究会」を例に紹介されています。

市民が自由に話したいことを持ち寄り、自由に話し合うというこの研究会は、まさに対話を促進するものでした。人はだれしも表現したいことがあり、それを受け入れられたいという欲求があります。受け入れられることで一人の人間としての主体性を獲得していきます。対話的研究会は、現代社会において希薄化しつつある対話を行う場を創出することで、参加者が多様な考え方を知るとともに、自身の考えと自我を深める機会となりました。筆者も指摘しているよう、こうした市民間の対話は、民主主義の基礎になるものだと思います。

個人にとっても、社会にとっても、それほどに根源的な必須の条件である対話を、忙しいとか、政治的なリーダーシップにまかせたほうがいいとか、ボスの気持ちを忖度して、対話も議論もなしに賛成するとか、どこに責任があるか不明なまま決まってしまう(中略)ということは、三大栄養素の中の必要な食べ物(たとえば、たんぱく質)を省略して生体を無理に生きさせようとするに等しく、個人も社会もいつの間にか健康を喪い、生き生きと活動できなくなるということではないでしょうか。(位置1235)

第3章では、筆者が影響を受けた対話に関する先行研究を引きつつ、対話がなぜ人間に不可欠なのかが述べられています。

先に引いた子どもと親の対話の例にあるように、人は対話を通して自己の内的思想を発達させていきます。また、現代の世界において普遍的な価値となっている人権という思想も、各人が内的な思想を持ってそれを自由に発出できなければ、成長しません。その点で、人権の基礎にもなるものです。

ヴィゴツキーの先行研究を引きながら紹介されている、子どもが対話によって知的水準を発達させていく過程はとても興味深いです。

さらにバフチンの思想として、「対話は身体性を持つ」点を紹介しています。対話によって人間は他者とつながり、そしてそのつながりを意識することで、空間、そして世界とつながります。加えてそうして生み出された言葉も、対話のなかで新たな意味を獲得し、価値として社会的意味やアイデンティティを形成していきます。

 権威主義的な話し方、聞き手に自分の考えを押し付け思い込ませようとする、閉ざされたものです。それに対して、対話は開かれています。お互いに応じあう中で新しい意味が生まれ、変化し、新しい理解が生まれる可能性が広がっていきます。「対話」はともに考えていく手段であり、そこでの理解は、一人の人間の可能性を超えるものとして、お互いの間で作られていきます。こうしたことを達成するためには、対話の参加者が耳を傾け、相手に届くような応答をする必要があります。応答は言葉の持つ基本的性質なのです。その意味ではお互いの責任ある態度が対話的関係を作り出すとも言えるでしょう。(位置1700)

第4章では、対話を欠いたことによって悲惨な結果が生じてしまった事例について紹介しています。具体的には、学校の教育現場、笹子トンネルの天井版崩落事故、住民を無視して進められた高架下工事の問題です。

これらの問題に共通しているのは完全なる上意下達の思想です。上の判断が絶対、それに対して対話をはさむ余地はないという考え。行政の判断は絶対で、住民はそこに対話をはさむ余地はないという考え。いずれもきわめて独善的なものだと思います。筆者曰く、「昨今、社会に大きな悪影響を及ぼした事件は、いずれも上の人への忖度が先立ち、率直な議論ができなかった点で共通しています。当事者たちのプロとしての判断基準は、上の人の意中を読むことだったようです。」(位置1770)。

先に筆者も指摘していたように、対話には責任が伴います。自分の意見や考えを表出するからには、それをまずは自分で受け入れ、責任をもって述べる必要があると思います。自分が発した言葉には「自分」というラベルが貼られます。

たしかに上意下達は合理的です。この世にあまたある事象に等しく通じるルールを制定することももちろん必要です。しかし、命令やルールはあくまで命令やルールで、その下にある状況や人々はきわめて多様です。そうした多様な現実と「対話」を行い、皆が少しでも納得できる形で物事を進めていく姿勢こそ「プロ」なのではないかと思います。命令やルールが必ずしも多様な現実に符合しているとは限らないからです。

その際に勇気をもって自分の言葉を発することができる、そんな土壌が現代社会には決定的に欠けているのではと考えます。いま方々で「多様性(diversity)」の重要性が謳われているのも、そうした危機感を反映しているのではないでしょうか。

著書名と同じ章題のついた第5章では、どうすれば対話する社会を実現できるかの糸口が、いくつかの事例を引きながら紹介されています。

対話を行うことで人は社会に受け入れられ、主体性を持ちます。「おかしいと思ったら、まず、自分たちの言葉で話し合ってみる、開かれた「対話の場」があることで、問題は自分のものになります。」(位置2362) 結論は必ずしも求められません。「対話の過程での新しい発見や思考にこそ意味があります。」(位置2509)

多様性が重んじられすぎると収拾がつかなくなるという考えもあるかもしれません。しかし筆者によれば、「多様性そのものが問題を引き起こしているのではありません」。「対話のない生活、社会の中で差別が横行し、コミュニティから疎外され、人びとが関係性を喪って、暴力的な解決に出たり、その反対に思考停止の無関心が当たり前になっていくことが問題なのです。」(位置2579)

 

対話は、思った以上に実践は難しいものだと思います。自分の言葉を発するのは勇気が要ります。また、他者の言葉を聞くのも場合によっては勇気が要ります。話の方向の収拾がつかなくなる心配もあります。

しかしそれでも対話は必要なものだと思います。筆者の指摘しているよう、対話の希薄化は、下手をすれば戦争や暴力につながる危険性を秘めたものだからです。

『世界史との対話』のなかで小川先生も『資本論』の言葉を援用しながら紹介していましたが、現代は「物証化」が進行している社会です。人間は生産手段の一要素として捨象され、その再生産・活用としての施策が多く感じられます。人が単なる社会の歯車に陥らないよう、対話という潤滑油(あるいは接着剤)が必要不可欠だと思います。人が一人の主体として伸び伸びと多様性を発揮できる際にこそ、生産性も最大化されるのではないでしょうか。そうした形での最大化のために、民主主義があり、官吏も存在するのではないかと個人的には思います。

著者の語り口は優しくも、社会に根付く深刻な問題について鋭く指摘しています。一歩一歩、まずは自分の周りから「対話」を始めてみたいと思います。