道に志し、芸に游ぶ

中国・北京在住(2018.8~)。主に読書記録。歴史/社会/言語/教育関係がメイン。

(読書記録)李妍焱『中国の市民社会――動き出す草の根NGO』岩波新書、2012年

中国の市民社会――動き出す草の根NGO (岩波新書)
 

 調子がいいので(久しぶりにブログを書く気になったので)もう一本。中国にNGOってあるのだろうか、どんな活動をしているのだろうかという疑問から手に取った本。Kindle版。

章立ては以下のとおり。

はじめに 「予想外」の中国へ

第一章 中国社会に「NGO人」登場

第二章 草の根NGOの戦略

第三章 ソーシャル・ビジネスの可能性と隘路

第四章 市民社会の底力

おわりに 個人として、そしてNGO人同士で

「はじめに」では、本書が「中国における市民社会の存在とダイナミズムを描き出」すことで、「ステレオタイプの中国認識から脱却し、「民間」の変化から中国社会の構造的な変動の可能性を捉える」、「「市民社会」のより柔軟で実践主義的な理解を提唱し、地域性を反映した多様な市民社会を構築することの重要性を主張する」ことが本書の目的であると述べられている。

第一章ではまず、「中国に「市民社会」はあるのか?」という問いから始まる。選挙を通じて国政に対して国民が意思を表明するという民主主義は周知のとおり存在しない。しかしそれは必ずしも「市民社会」が存在しないことを意味しない。

市民社会の伝統を有さない国においても、社会主義を標榜する国においても、国家が公共の問題をすべてコントロールできない以上、市民社会の存在が現実的に可能となる。(位置146)

筆者はここで「市民社会」を、「公共的な事柄に関する討論と決定に人々が、自らのイニシアティブによって参加する権利、仕組み、及び文化」をそなえている社会」と定義している(位置189)。そしてその構成要素として、

①参加する権利  ②参加の仕組み  ③参加の文化

を挙げている。この3つの要素が歯車として回り始めることで「市民社会」が機能する。①と③については中国では限られているが、②の仕組みについては、1990年代後半からNGOやネットワークが登場してきている。

それらNGOに、筆者は「草の根」という枕詞を冠している。これは、中国にはいわゆる「官製」NGOも多く存在するためである。90年代以降、若者を中心に草の根NGO設立の動きが見られた。

そのきっかけとして、1995年に北京で開催された「世界女性会議」を挙げている。ここでNGOフォーラムが開催されたが、政府担当者は初めてNGOという言葉に接することとなり、女性を取り巻く問題に関心のある中国人にもインスピレーションを与えた。この1990年代後半に設立されたNGOは「初代(第一世代)草の根NGO」と呼ばれ、93年設立の「自然之友」がその第一号とされる。設立者の梁从誡はなんと梁啓超の孫。

ほか、「地球村」「農家女」「紅楓」「緑家園」などが知られる。これらはいずれも環境問題、女性の権利の問題、出稼ぎ労働者の労働環境など、中国社会を取り巻く社会問題に対しアプローチをしていた。

この第一世代の特徴として筆者は、「自然之友」の梁もそうだが知識人(中国語では「知識分子」)であったことを挙げている。こうしたNGOはいわば知識人を筆頭とした「結社」であり、管理の対象となる(白蓮教徒や太平天国義和団など「国家転覆」を図った団体はいずれも「秘密結社」であり、共産党も最初は秘密結社だった)。

少々長くなるが重要なので詳述すると、これらNGOの法人格取得には「業務主管と民政登記による「二重管理」の登記制度」が障壁となる。

中国では、登記せずに任意団体として活動するのが、違法となる。しかし、民間結社として正式に登記するには、「民政」という行政部門の許可を得なければならない。「社会団体」(結社)「民間非企業単位」(単位=組織、何らかの社会サービスを提供する事業体)「基金会」(財団)という三種類の登記資格が用意されている。そのいずれも、行政機関ないし準行政機関といった「管理する資格があると認められた」組織に、業務内容の「主管単位」になってもらい、主管単位を通じて登記を申請しなければ、登記手続きすらできない。(位置412)

つまり、ある団体が登記をするにはそれを主管する行政組織を見つけなければならず、さらに登記部門に認可されるという二重の審査が必要となる。そのため、主管する行政組織とのパイプが重要となる。

一方で、2010年に広東省の深圳では直接登記を可能とする制度改革が行われ、また近年、長年の活動実績により民生部門を直接主管単位として登記に成功した草の根NGOも出てきている。

2000年代に入ると中国の経済成長が顕著になるが、同時に格差の拡大や環境問題など、多様な分野における社会問題も噴出し始めた。こうした背景が「第二世代草の根NGO」を生みだしていく。第二世代の特徴として筆者は「専門性」と「当事者性」、つまり問題に直面しているコミュニティに直接入り込んでいき、自らの専門性と現場での問題をうまく結びつけるようなスタイルを挙げている。こうした団体の例として「社区参与活動」「北京緑十字」「公衆環境研究センター」「北京工友之家芸術団」などがある。

こうした新たな団体の誕生を受け、中国政府は規制するのではなく、管理し把握するという方向に舵を切った。2004年の共産党全体会議で「社会を創り上げる」ことを共産党及び政府の新たな「任務及び目標」とし、すべての民間組織の活動もこの「社会建設」の一環として位置付けられ、それに貢献することが求められるようになった。

こうした市民社会における組織を示す用語として、中国語ではNGONPO、社団、民間組織、社会組織、公益組織のおおよそ6種類がある。政府はNGOという言葉の使用を避ける傾向があり、200年代半ばは先の「社会建設」の流れもあって「社会組織」というタームが好まれたが、政府もそうした社会組織への委託を始めると、広く「公益組織」というタームも使われ始めたとしている。

第2章では実際に草の根NGOがどのような手法で現場に入っていき活動を展開していくか、その事例が描写されている。詳述はしないが、単なる行政の「手足」となるのではなく、自らの専門性を生かして行政へも「うまみ」を提供しつつ、巻き込みながら実地の課題解決を図っていくという手法は大変興味深く、勉強になる。

第三章では、2000年代後半になって登場した社会起業家(ソーシャル・ビジネス)がどのような視点で社会的課題の解決を図っていったかの事例が分析されている。

第四章ではこれまでの議論の総括として、中国における草の根NGOの課題との闘い方について述べられている。

筆者の指摘するように、草の根NGOのしなやかかつしたたかなスタンスが印象に残った。自らの活動を円滑に行うべく制度的改善を期待する日本のNGONPOと対照的に、中国のそれらは制度的な改善は期待できないため、自ら手を組み、社会的課題の解決に積極的に結び付けていかなければならない。また、社会保障からこぼれ落ちた人々に手を差し伸べる日本の団体とは異なり、保障の在り方そのものの変革を求めていくことも対照的だとしている。

また、私含めおそらく多くの日本人が中国に「市民社会」のようなものが存在することに意外性を感じると思うが、社会における課題にアンテナを貼りそれについて議論して参加するという思考はむしろ中国の方が抵抗がないと指摘する。

若い世代に多少の変化が見られるが、大概の中国人は、天下を考え、天下のために自らが動くという思考様式と行動様式に慣れ親しんできた。「天下」の出来事(すなわちさまざまな政治的、国際的な事柄)は、日常的に人々のさりげない会話にも登場し、自分のことや家族、友人たちのことと共に、人々の日常的な思考のなかにある。これは、公共の問題に自らの意志で参加する市民社会と相通ずるところがある。(位置2605)

日本よりも中国のほうが、公共(「天下」)に自らの日常を結びつける発想に抵抗がない。参加の文化を育むには、日本では、いかに人々の目を公共に向けさせるかが問われ、中国では、いかに「天下」思想を活かしつつも、多様性を容認する参加の仕組みを作っていくのかが問われよう。(位置2619)

中国では伝統的に「官」の役割が限定的で、人々は宗族や各種産業の中間組織や相互扶助によって公的サービスを確保してきたという側面があるが、公共や「市民社会」という概念にも親和性があるという指摘は、本書で最も驚いたポイントの一つである。

また、「おわりに」で述べられている、中国のNGO人と比較することで見えてくる日本社会の特徴にもドキリとした。

例えば、「共産党独裁」「社会主義」などの固定観念にきつく縛られがちなところ。変化と変革を好まず、海外の社会変動の激しさには鈍感でついて行けないところ。国、社会、業界、組織、個人に至るまで、何がほしいのか、どんな状態が望ましいのかについて議論しようとしないところ。ビジョンを掲げるのが苦手なところ。ビジョンがないために、戦略も首尾一貫性がなく、行き当たりばったりであるところ、うまくいかないことを環境や場のせいにしがちなところ。自らが唱える正義を強く訴え、社会的影響力を獲得しようとする努力や工夫が全く足りないところ、等々。(位置2811)

自分の思考にも、自分が所属する組織にも大いに妥当する部分がある。せっかく中国にいるのだから、積極的に交流しながら彼らの姿勢を学んでいきたいと思う。

根っこから日中の相互理解を深め、国民感情を改善していきないなら、社会問題、公共の問題に本気で取り組む草の根キーパーソンの間で、顔が見え、体温が感じられる人間くさい交流と連携関係を地道に作っていかなければらない。(位置2821)

そのとおりだと思う。そうした機会の創出にまさに取り組んでいかなければならないということを学ぶことができた一冊だった。