道に志し、芸に游ぶ

会社員→文系博士課程院生の雑感

2024年4月の振り返り

退職して博士課程での研究一本に転身後、最初の1ヵ月が過ぎた。

3月29日のド年度末まで働いており(なんとなればその前日まで最後の海外出張だった)、和気藹々とした同僚に囲まれながら日々を過ごしていたので、翌週から急に真空状態に放り出されたような感覚になった。

もちろん博士論文執筆というタスクはあるし、課題の山積は明らかだったが、直近の2ヵ月は仕事が忙しすぎて研究をほとんど進められなかったこともあって、どこから手を付けるか少し茫然としてしまった。加えて、研究は基本的には一人で進めるもので(もちろん共同研究はあるが、オフィスのように机を並べてするものでもない)、家族も働きに出ている日中は当然のことながら独りなので、前週までとのギャップに苛まれた。

もちろん事前に十分予期していたが、さすがに最初の一週目は新たな環境での「カルチャーショック」が大きかった。

 

しかしそれもつかの間、週の半ばには専攻のガイダンスと懇親会があり、新たな「同僚」との出会いがあった。さらにその週の金曜から授業が始まり、ゼミの予復習など目前の課題に追われる日々が始まった(今学期は語学2つを含む4コマを履修しており、またTAを1コマ担当することとなった)。加えて、博論にかかわる先行研究(特に戦時中・戦後史の基本的なところ)や史料を読み始めたことで、課題とすべき事柄(とその巨大さ)が少しずつ見え始めた。留学生のチューターや奨学金関係の事務作業も含めて、まずは目の前のことからこなしていくというリズムが4月半ば以降は確立されてきたように思う。

 

授業が多いこともあってそれなりに忙しい日々だが、頭の切り替えの「振幅」という意味では、仕事と研究の二足草鞋だったころに比べれば明らかに落ち着いた。一日7時間ぐらいは寝られているし、週に一日はほぼ完全オフの日を設けられている。

また、二足草鞋中は仕事と自分の専門分野(修論に直接かかわること)の本しか読めず、小説を読む暇もなかったが、今は寝る前やオフの日などにその時間も確保できている。寝る直前まで研究をしていると頭が冴えて寝付けなくなってしまうし、言語感覚や想像力を養う上で小説を読むことは非常に重要だと思うので、この習慣は今後も続けていきたいと思う。

 

それと、家計を私が負担する分が低減したのと引き換えに、4月からは家事全般を引き受けることとなった。今のところ、土曜の午前中は家の掃除というルーティーンになりそうである。

やってみて難しいのが料理。私はそもそも料理が超ド級に下手で、これまでも自炊の習慣はほとんど無かったのだが、少しずつ勉強している。さもないとほとんどクッ○ドゥーの中華料理になってしまうので、時間があるときにレシピ集をパラパラ見ておかなければ…と思っている。

 

最後に、4月に読んだ書籍や論文のなかで特に印象に残っているもの3点を、備忘録的に記して終わりとしたい。

 

①清水雅大『文化の枢軸――戦前日本の文化外交とナチ・ドイツ』九州大学出版会、2018年

修論1年目のときも読んだが、改めて再読。日独文化協定の成立と執行の過程を中心に検証することで、日独関係において「文化協定」とは何だったのか、またそもそも日独「同盟」とは何だったのかという点が問い直されている。私自身はドイツは専門外だが、二国間関係において文化の果たした役割を検証する方法論として勉強となったし、また日独「枢軸」がいかに脆い砂上の楼閣であったのかについても大変示唆を受けた。

 

②三谷太一郎「国際環境の変動と知識人」同『大正デモクラシー論――吉野作造の時代とその後』中央公論社、1974年。

言わずと知れた名論文だが、恥ずかしながら今になって読了。1930年代、満洲事変後に「地域主義」が提唱されるに至る過程、また論者によるその内実の相違について、観念的な内容ながらも非常に読みやすい筆致で著されている。これから何度も立ち戻ることになる重要文献の一つだと思う。

 

③渡辺千尋治外法権撤廃・内地開放論の経済的背景――中国「本部」を中心に」『東アジア近代史』第24号、2020年6月、pp.107-126

中国「本土」に対する治外法権撤廃・内地開放論が1920年代後半に唱えられる背景として、日本製品が中国において競争力を失うなか、関税自主権の回復を認めることと引き換えに日本人の内地雑居を認め、原料や市場へのアクセスを容易にすることで、中国現地での生産に切り換えようとする経済的な動因があったことを論じたもの。論旨が明快でかつ面白く、日中関係における経済・経営的視点の重要性を改めて勉強させていただいた。