道に志し、芸に游ぶ

会社員→文系博士課程院生の雑感

2024年9月の振り返り

 博士1年目の夏休みが終わると同時に、上半期6ヵ月が終わった。今月はなんといってもアメリカ出張で半分が過ぎ去った。真夏日の東京を去って向かったアメリカはすでに朝晩が寒かったが、帰ってきたら東京も同じぐらいの気温になっていた(今日以降また暑くなるようだが)。

 9月の前半は、アメリカ出張に向けて見るべき史料の目星をつけるのはもちろん、初めてということもあって細々とした旅程を調べるのに多くの時間を使ってしまった。研究の進捗という意味では相応しくなかったが、アメリカでの生活の仕方についてはだいぶ理解が深まった。ほか、今月控えている報告のためのペーパー作成や某申請書類を作成するのに時間を費やさざるをえなかった。また、9月からリサーチ・アシスタントの仕事も始めた。結果、博論の大きな「問い」をどうするのかという本来夏休みに取り組まねばならなかった課題が後回しになった感があり、大いに反省もしている次第である。

 だが、今回の訪米は自分の関心所在(や、大げさかもしれないが人生)にとって大きな転換点だったようにも感じる。アメリカという国や社会の解像度が多少なりとも深まるなかで、あの国をもっと理解したいという気持ちが膨らんできた。誠に月並みだが、アメリカという国の「多様さ」、そしてそれらをuniteする「理念の国」としての在り方を肌で感じた。その「理念」はいかに育まれてきたのか、さまざまな矛盾や限界を抱えども維持しているあの国の「強さ」の源泉は何なのか、あれほどの大洋を挟んで紛れもなく遠い二国間でありながらもこれほど深い紐帯をもつ(とされる)日米関係とは一体何なのか、など。本来やるべきことを手つかずにしてはいけないのでほどほどにはするが、今後も絶えず学んでいきたい次第である。

 

 以上の事情もあって今月はあまり本や史料を読み進めることができなかった。そのなかでも印象に残っている書籍3点について記して、振り返りを終えたい。

 

岩波新書・シリーズアメリカ合衆国史(全4巻)

 

 

 

 

 「1冊」ではないが、、、この訪米にあたって手に取ったシリーズもの。やや細かい記述もあって初学者にはtoo muchな部分もあったが、アメリカ史をめぐる最新の研究状況を学ぶのに最適であった。南北戦争はもちろんのこと、1812年米英戦争アメリカ社会の形成において重要であったという点は、ワシントンD.C.アメリカ歴史博物館を見た際に大いに腑に落ちた。

 また、第4巻の古矢旬『グローバル時代のアメリカ 冷戦時代から21世紀』(岩波新書、2020年)が、個人的には最も読みごたえがあった。同巻は1970年代以降を一つのまとまりとして捉えているが、そこに通底する時代潮流が「新自由主義」である。アメリカが新自由主義でいかに「失敗」してきたかが描き通されるが、その一方で、目下繰り広げられていた自民党総裁選において「解雇規制緩和」をはじめとする新自由主義的政策が依然として飛び交っていた。なぜ日本は「最も重要な同盟国」であるところのアメリカの「失敗」から学ばないのか、これほどまで追求される新自由主義とは何なのか、など、本来の読み方とは違うのかもしれないが現代日本に対する示唆を多く含んだ一書だったように思う。

 

②松沢裕作(2024)『歴史学はこう考える』ちくま新書

 刊行直後から話題になっている一書で、帰りの飛行機に乗る直前にkindleでダウンロードし、離陸後に一気読みした。歴史家が行っている営みを平易に解説することが趣旨の本だが、歴史研究者がもつべき姿勢、特に史料に向き合う際の緊張や方法論(政治史、経済史、社会史)の違いなどが的確に整理されいる。また、歴史家のスタンスの根底には「近代」をいかに見るかの相違があるという点も、なるほどと思った。自身の研究姿勢を省みる際に絶えず立ち戻るであろう一書である。

 

③鈴木一人(2024)『資源と経済の世界地図』PHP研究所

 前月の『経済安全保障とは何か』から派生する形で手に取った一書。主軸は地経学(地政学+経済学)ではあるが、ウクライナ戦争や中東情勢を含めて、最新の国際情勢がなぜそうなっているのかの来歴が的確かつわかりやすく整理されている。目を背けたくなる昨今の国際情勢、その根深さを知るといっそう暗澹とした気持ちになるが、考えることをやめてしまった先に出口はない。一市民としていかに向き合うのかを考える際に手引きとなる一書だと思う。

米国史料調査記録(2024年9月/Rockefeller Archive Center)

 前回記したNARA II編に引き続き、今回訪れたもう一つのアーカイブであるRockefeller Archive Center(以下RAC)についてまとめていきたい。ただ、NARA IIとは違ってRACの方はさほど複雑な手続きはなく、難易度は高くなかったように思われる。

RAC外観。外観もいい感じだが内装も素晴らしい。

1. RAC概要

 同センターは、ロックフェラー一族およびロックフェラー財団の慈善活動に関する記録を一堂に集めることを目的に、1974年に設立された。元々はロックフェラー大学の文書館であったが、次第にコレクションが増え、現在ではロックフェラー財団のみならずフォード財団やナイト財団、ヒューレット財団など他の機関の文書も所蔵されている。

 RACは、ニューヨーク(マンハッタン)からハドソン川沿いに北へ列車で1時間の位置にあるTarrytownという村に所在する。特にこの地はSleepy Hollowという地名で、その名のとおりスリーピー・ホロウ伝説の舞台として知られている。また、『アルハンブラ物語』などの作品で知られる作家ワシントン・アーヴィングが暮らした場所としても知られ、彼が暮らした家(サニーサイド)も現存している。Tarrytown自体もどことなく文化的な香りが漂う雰囲気で、駅から急坂を上って15分ほどのところにある中心部はこじんまりとした飲食店や雑貨屋が並んでおり、落ち着いた雰囲気であった(筆者はとても気に入った)。

 

2. 訪問前

(1) アーキビストへの連絡

 前回のNARA IIと同様、こちらにも専門のアーキビストが何名か控えている。RACのHPのメールアドレス宛に自分の研究テーマや見たい史料(先行研究を参考にする)を送ると詳細な情報を返信してくれる。NARA IIほ閲覧者がごった返しているわけではないためか、その日のうちにレスポンスがあった。NARA II同様に関連史料なども案内してくれるため、事前連絡は必ず行った方がよい。また、後述するようにTarrytownの駅から送迎の車を出してくれるのだが、その車の予約も併せて事前にメールで行った方がよい。

 なお、RACの所蔵史料は同館のシステム(DIMES)で検索が可能である(なぜか自動で日本語バージョンになってくれる)。DIMESのアカウントを事前に作り、閲覧予約・出庫予約をする必要があるが、アーキビストからの返信メールにその旨の案内も含まれている。

 

(2) ホテル

 一つ目の選択肢はTarrytown周辺である。しかし、「村」だけあって選択肢はとても少ない。筆者が見た限りでは駅から徒歩30分、バスだと20分の「Sleepy Hollow Hotel」しかなく、筆者もここに宿泊した。結果としてこのホテルは個人的にとても良く(2024年9月当時は費用もさほど高くなく、設備がきれいで、スーパーにも歩いて10分ほどで行けた)、次回もここにステイしたいと思っている。

 二つ目の選択肢はニューヨーク市内である。その場合、Grand Central Terminalからメトロノース鉄道(ハドソンライン)で片道1時間かけて通う必要がある。ただ、ニューヨーク市内のホテル代がすさまじいことになっており(ユースホステルでも3万円ほどだった)、鉄道代も片道15ドル程度(ラッシュアワー)はかかる。アフターファイブをニューヨークで楽しめるというメリットはあるものの、あまりおすすめできない。

 三つ目の選択肢はハドソンライン沿いのどこかである。宿泊サイトで見た感じだと比較的安価なホテルやAirbnbも候補に出てくる。ただ、場所によっては治安が良くなさそうな雰囲気のところもあるため、駅からホテルまでの道をGoogleストリートビューで確認するなどしたほうがよいだろう。

 

3. RACへのアクセス

 上述のとおりTarrytownにはメトロノースのハドソンラインで向かうことになる。マンハッタンのGrand Centralから乗るのが一番簡単だろう。メトロノース鉄道の券売機で乗りたい列車の切符を買い、乗車口から列車に乗り込む形である。なお、Amtrakもそうだったが、いわゆる「改札」は存在せず、切符を買ったらそのまま列車に乗り込む。車内で係員が回ってきて、切符を回収(ハサミでパチンと、まさに中国語で言う「剪票」)される形である。

 RACのHPに記載があるが、Tarrytown駅9:15発で、アーカイブ行の無料送迎サービスがある。ただ、HPでは何もせずとも来るような書きぶりであるが、予約しないと来てくれないとのことだった(現に初日、何もせずに行ったら車が一向に来ず、仕方がなくUberで現地へ行ってスタッフに訊くと、「予約要るよ」と言われた)。事前にメールで送迎がほしい旨を申し添えておくとよい。なお、筆者は何となく送迎バスを想像していたが、普通に乗用車である(見た目には「送迎車」と気づかないが、助手席のところに「Rockefeller Archive Center」と書かれたA4の紙が貼ってある)。

 RACに到着すると、送迎の車であれば問題ないが、もし自力でUberなどで行く場合、門の前で降りることになる。門の前にインターホンがあるので、researchの予約をしている旨告げて開けてもらう。

 冒頭の写真に掲げた洋館に入る。閲覧室は2階。閲覧室手前にロッカーがあるので、荷物はそこに預ける(NARA IIと違って硬貨は必要ない)。

 1階には休憩室があり、そこに冷蔵庫、電子レンジ、給水機、コーヒーマシンがある。RAC周辺にはお店が何一つないため、昼食は持参する必要がある。筆者はTarrytown駅にあるパン屋でパンとサラダを購入して持参した(余談だがそのパン屋のビーフ・エンパナーダが絶品だった)。

 なお、Tarrytownは川沿いであるためか、さらにRACは山の上にあるためか、ニューヨークよりも気温が低く、9月でも肌寒かった。気温を事前調べて必要な防寒具を持参した方がよいだろう。

 

4. 史料調査

 事前にDIMEで指定したファイルが閲覧席に用意されている。NARA IIのようなdeclassificationの手続きも特段必要なく、史料の撮影も可能。特に難しいことはなかったように思う。

 敢えて上げるとすれば、まず第一に、史料の整理体系をつかむのが若干難しい(筆者もまだ整理中である)。DIMESでは系統図が示されず、またRecord Group、Series、Subseriesといった番号が若干入り組んでいるため、今自分が見ている史料が全体のどこに位置づけられるのかを注意しながら見ていく必要がある。

 第二に、ロックフェラー一家の史料とロックフェラー財団の史料があり、その両方に見たい史料が点在している場合がある。例えば、筆者は今回ジョン・D・ロックフェラー3世関連の史料を多く閲覧したが、彼がロックフェラーの個人として行った活動と、財団として行った活動とでRecord Groupがわかれており、一見同じ類の史料であってもそれぞれに分かれて別々に保存されているケースがあった。DIMESで検索する際に、ロックフェラーファミリーの方でヒットしてもそれだけで安心せず、財団の方にも類似のFolderがないか確認することが重要ではないかと思われる。

 第三に、DIMESで検索して出てくるのはあくまでもFolderレベルの情報であり、通常、複数のFolderが一つのBoxに入っている。そのため、Folderの分厚さ次第ではあるが、Folder20個とかを申請しても実際に見るBoxは3つ、などということもある。要するに、申請し過ぎではと躊躇わずにガンガン申請しても意外に量としては少ない場合もあるので、積極的に出庫した方がよいと思われる。なお、事前にDIMESで申請していなくても、現地で追加オーダー(DIMESを介して)することも可能であるが、例えば午前中に申請すると午後一での出庫になるなど、若干時間を要する。

 

 閉館時間は17時。17:15にTarrytown駅に戻る車が出るので、それに乗って帰る形である。

米国史料調査記録(2024年9月/NARA II)

 筆者は2024年9月に1週間ほどワシントンD.C.(正確にはその郊外、メリーランド州カレッジパーク)に滞在し、米国国立公文書館新館(通称NARA II)にて史料調査を行った。反省と備忘録を兼ねて、以前の台湾編と同様にNARA IIの基本情報についてまとめることとしたい。

 なお、本情報はあくまでも2024年9月時点のものである。NARA IIのルールは頻繁に変わるようなので、最新情報は同館HPにて確認されたい。

NARA II外観

 

1. 渡航

 前置きが長くなるが、渡航前の準備段階から筆を起こす。渡航前の準備や学習が史料調査の成否を大きく左右する(実際左右した)ためである。

 

フライト

 筆者は今回東京⇔ニューヨークの往復便とし、ニューヨークで1泊してから、長距離列車(アムトラック)でD.C.へ移動した。DC直行便と比べてフライトの値段が安く、また後半はニューヨークで調査を行うためだった。アムトラックの出発駅(マンハッタンのPenn Station)も到着駅(D.C.のUnion Station)も市内中心部にあり、地下鉄も使えるため便利ではある。が、アムトラックは指定席ではなく早いもの勝ち方式で、車内の荷物置き場(京成スカイライナーのような形で車両の入り口のところにある)も大きくはないため、スーツケースが大きいとやや大変だった。もしNARA IIのみが目的の場合、予算次第ではあるがDCとの直行便(ダレス国際空港)でよいと思われる。なお、ダレス国際空港からD.C.市内までは地下鉄(Silver Line)で1本で行けるようである。

 

ホテル

 冒頭述べたとおり、NARA IIはカレッジパークという場所にあり、D.C.市内からは車で片道40分ほどかかる。その周辺にはホテルがないためどこかしら離れたところに取る必要がある。詳しくは後述するが、NARA IIまでバスで1本で行けるところを強くおすすめする。

 

閲覧室の予約

 2024年9月現在、NARA IIの開館時間は月曜から金曜の9:00-17:00で、あらかじめHPから閲覧室の予約をする必要がある。文書(Textual)やマイクロ資料などそれぞれで閲覧が必要なようである(筆者は今回文献史料のみを閲覧した)。

 

アーキビストとの連絡

 NARA IIのHPには以下の記載がある。

Researchers may contact Textual Consultation at archives2reference@nara.gov for advance consultation and Researcher Registration at visit_archives2@nara.gov for researcher registration or research room appointment questions.

 「may contact」なので「必要なら連絡してもよい」というニュアンスなのかもしれないが、必ず連絡した方がいい。その際には、自分の研究関心が何で、そのためにどんな史料を閲覧したいかをメールに記載する。できれば、自身の研究テーマに関連する先行研究をあらかじめ読み込み、そこで引用されている史料を挙げるなどして、「これこれを読みたい(またはこんな感じのを読みたい)」とまで記載すると具体的になる。すると、(今回筆者がたまたまそうだっただけかもしれないが)アーキビストからは当該史料が入ったBoxの書架住所、また場合によっては関連する史料の情報が送られてくる。この書架情報を事前に入手しておくと、当日現地で自分で調べる手間が省ける。

 アーキビストは現地に着いてからも強力な味方となる。NARA IIの史料保管は入り組んでおり、初見の者が独力で見たい史料に辿りつくのはおそらくほぼ不可能なので、積極的にコンタクトを取った方がよいと感じた。なお、アーキビストからのメール返信には2~3週間近く要する(HPにも遅くとも3週間前までは連絡することと案内がある)ので、早めに最初のメールを送る必要がある。

 

その他

 一般的なことではあるが、ESTAの申請を忘れずに。また海外旅行保険にも入っておいた方がよい(クレジットカード附帯の保険では病気がカバーされなかったり、保険金がアメリカで万が一の際に医療を受けるには少なかったりするため)。また、アメリカは日本以上にクレジットカード社会なので、クレカ(タッチ式がおすすめ。ほぼどこでもタッチ式で決済可能)を持っておくことが推奨される。現金はチップぐらいでしか使わなかった。

 

2. 渡航後、現地にて

最初の登録

 (いろいろと端折ったが)いよいよNARA IIに到着。入り口で手荷物検査を済ませたのち、初めての人は向かって右手前にあるRegisterの部屋(正式名称は忘れた)に入る。ここで利用登録を行う。フロントの方の案内に従い、パソコンに情報を打ち込んでいく形。入力後、利用カードが発行される。カードは以前は顔写真付きだったようだが、現在は氏名と利用者番号、QRコードが記載されているのみで、質感もペラペラ。有効期限は1年なので、それを過ぎると来るたびにこの手続きがあるということなのだろう。なお、以前はあったと聞いていた利用に関するオリエンテーション(20-30分かかる)は、なぜかなかった。

 

荷物の預け入れ

 登録後、地下1階に降りてロッカーに荷物を預ける。預ける際に25セント硬貨(quarter)が必要(あとで戻ってくる)。館内には飲食物はもちろん、ノートやペンも持ち込めない。筆者はノートパソコン、その充電器、iPhoneの充電器(iPhoneで史料の写真を撮ったため)のみを持ち込んだ。周りにはスキャナーを持ち込んでいる研究者も多かった印象。なお、閲覧室の出入り口のところに水飲み機があるので、そこで喉を潤すことができる。

 

閲覧室へ

 1階に戻り、閲覧室に入るゲートを通る。その際にノートパソコンやキーボード付きiPadなどは開いて見せる必要がある(なかに何か挟んで持ち込むことを防ぐため)。その際に利用カードのQRコードをスキャンする。以前はあった、機材の登録などの手続きはなくなったようである。

 

まずは3階へ

 調査の最初は3階へあがる。3階にはアーキビストが控えていて、資料目録(Finding Aid)などがずらっと並んでいる部屋がある。事前のアーキビストとのやり取りで見るべきBoxが特定されている場合は、その部屋のテーブルの上にある複写式の申請用紙に必要情報を書いていく。必要情報は以下のとおり。

DATE:記入を忘れがちだが(自分は忘れてしまい、アーキビストに書かせてしまって迷惑をかけた)、申請日の日付。

NAME:LAST→FIRSTの順(これもうっかり逆に書いてしまい、資料を出すときにスタッフを若干混乱させてしまった)。

SERIES OR COLLECTION NAME:見たいBoxが属するシリーズの名前。

RECORD GROUP/COLLECTION DESIGNATION:レコードグループ。例えば国務省なら「59」。

ENTRY NUMBER:当該シリーズに振られた番号。

NATIONAL ARCHIVES IDENTIFIER:何の番号か判然としなかったが、エントリー番号同様に振られている数字を記入。

BOX/ITEM NOS. REQUESTED:見たいBox番号

STACK・ROW・COMPARTMENT・SHELF:いわゆる書架住所

 これらはいずれも、わからないところがあればアーキビストに尋ねるのがよい。ただ、申請者も十分身に着けたわけではまったくないが、自力で情報を探すこともできる。

 例えば国務省文書(RG59)で言うと、3階の棚に「CENTRAL DECIMAL FILES 19XX-XX FILING MANUAL」というファイルがある。XXには年代が入り、大まかな地域ごとに分かれている(例えば日本関係はFar East)。DECIMALとは十進法ということで、1963年までは、さまざまな政策領域や地域ごとにコードが割り振られ、数字の列として表現することで、それに紐づく特定の政策・地域に関する文書群がまとまって保存されている。例えばアメリカの日本に対する文化政策について見たい場合、511.94…という番号が該当する。5は「Class 5」=「International Informational and Educational Relations」、11はアメリカ、94は日本を表す。

 こうして自分が見たい十進法分類を把握したあとに、同じ棚の少し下の方にある「Box List」を見る。これを見ると、先ほど把握した十進法分類に紐づくBoxの書架情報が記載されている。ここに書かれている情報を申請書に転記していく形となる。

 申請書を記入したのち、同じ部屋に座っているアーキビストの方から内容を確認してもらい、サインをいただく。これで3階での手続きは終了である。

 なお、一度に引き出せるBox数は、明確に何箱までとは言われなかったが、おそらくカートに乗る個数が上限なのだと思う。申請者は最多のときは20箱ほどを一度に出した。また、申請は基本的にRGごとに行うようで、異なるRGの申請は分けて行う必要があるようである。

 

2階閲覧室へ

 申請書にアーキビストのサインをもらったら、その申請書を持って2階の閲覧室へ行く。閲覧室入室時にもノートパソコンを開いて見せ、利用カードのスキャンが必要。

 閲覧室の席は自由であるため、空いている席に座ればよい。個人的には、太陽光と影の位置に気を付けて席を選ぶのがよいと思った。というのも、閲覧室は東南に面していて、かつ全面ガラス張り&カーテンなどがまったくないので、午前中は太陽光が強く差し込む。窓に向かって座るとまぶしく、逆に窓に背を向けると、自分の影ができて史料を撮影する際に影が映ってしまう(文字が見えなくなる可能性がある)。窓に対して平行な席(ただし数が限られている)に座るとこれらの問題を軽減できる。

 席を確保したら、2階のある史料の出入庫のカウンターへ行く。通常2人のスタッフが座っているので、順番が来たら申請書を渡す。受付後、史料が出てくるまで約45分かかるので、最初の申請の場合は必然的に「待ち」の時間となる。2回目以降は、そのとき読んでいる史料群があと少しで見終わりそうというタイミングで次のものを申請しておけば、待たずに済む。なお、以前は史料を出庫する時間が毎時ちょうどなどと決まっていたが、現在はそういったルールはなく、随時申請・(約45分ほどたったら)出庫できるようである。

 史料が見られる状態になると、カウンター横のスクリーンに氏名が表示される(特にアナウンスなどはない)ので、再びカウンターへ行き、ボックスの乗ったカートを受け取る。

 

複写(撮影)用のタグをもらう

 これでようやく史料を「見られる」状態になる。が、このままでは史料の撮影ができない。史料を撮影(またはスキャン。印刷もできるのかもしれないが筆者は行っていないのでよくわからない)する際には「Declassification Slug」をもらう必要がある。撮影や複写が許可されたBoxには機密解除番号(NND番号)が振られていて、Boxの側面に記載してある。その番号がある場合は、閲覧室の両脇にあるカウンターへ行って撮影をしたいと申し出る。すると、その日の最初の申し出の場合は、(正式名称がわからないが)長方形の色のついた紙(スタッフは「カラーペーパー」と呼んでいた気がする)と、「Declassification Slug」という小さい紙片をもらえる。

 Slugを受け取ったら、当時にそこにあるノートに氏名とNND番号、時刻を記入する。色のついた紙は座っている席のライトのところに透明な入れ物があるので、そこに差し込んでおく。そして史料を撮影する際に、すべての写真でそのSlugが写り込むように撮影する。これにより、当該写真に写っている史料は機密解除がなされていることを示すことができるためである。

 なお、NND番号は史料のテーマごとに振られている。NND番号が同じBoxは同じSlugで撮影することができる。NND番号が変わるたびに先ほどのカウンターへ行って、返却の時刻を記入し、新しいSlugをもらう必要がある(ので、同じNND番号の史料はまとめて一気に閲覧した方が効率がよい)。

 以上で閲覧の前に必要な手続きは終了である。あとはひたすら史料を見ていくこととなる。

 

閲覧室での注意点

 閲覧室では常時巡回のスタッフが2、3名いて、不適切な行動をしていると注意を受ける。例えば筆者は以下の注意を受けた。

・カーディガンやジャケットなどの羽織り物を椅子にかけない。常に来ておかなければならない。

・ノートパソコンの上に史料を置いてはいけない。また、充電コードに史料が触れてはいけない(史料をめくる際に注意)。

 ほか、基本的な(しかし重要な)注意点として、

1度に見る=テーブルの上に置けるのは、1フォルダーのみ。フォルダーとはBoxのなかに入っている文書を一束ねにしたまとまりのこと。これを守らないと違うフォルダーやBoxに文書が紛れてしまう恐れがあるためである。なお、フォルダーに入っている文書の順番を変えてもいけない(基本的に文書が生成された当時の順番で入っているため)。

・メモをしたいときは閲覧室にあるメモ用紙と鉛筆を使う。ただし、閲覧室内で持ち帰る紙が発生すると、退館時の手続きが若干面倒になる(グリーンバッグと呼ばれるセキュリティボックスに入れて確認するという手続きが生じる)。筆者は結局紙のメモを一度もとらず、すべてパソコンに打ち込んだ。

 

食事

 食事については、1階にカフェテリアがある。サンドイッチなどの軽食やちょっとした定食(?)を購入できるが、筆者は初日だけサンドイッチ(たしか8ドルぐらいした)を買っただけで、残りの日は節約のためにスーパーで買ったサラダを持参して食べた。

 

退館

 16時になると閉館1時間前のアナウンスが、その後30分前、15分前にそれぞれアナウンスが流れる。17時の退館に間に合うようにカートを最初に申請書を出したカウンターへ返却する。その際に「Hold or refile?」と聞かれるが、Holdとはその史料を翌日以降も継続して見ること、Refileは閲覧を終えたので返却することをそれぞれ意味する。なお、Holdは最長でも3営業日までしかできない。

 また、「Declassification Slug」とカラーペーパーも、受け取ったカウンターで返却する。

 退館時にはノートパソコンを開いての確認と利用カードスキャンを再度行う(前述のとおりほかにも持ち物がある場合は、グリーンバッグによる確認を行う)。1階の受付でも確認を終えたら終了、退館となる。

 Holdしていた場合は、翌日は3階に行く必要はなく、直接2階のカウンターへ行けばよい。

 

3.反省点

①調べたい政策の所管組織をしっかり把握する

 これはあまりにも基礎的なことであるが、NARA IIの文書は基本的にその文書を作成した(=当該政策を所管した)官公庁単位で保管されている。そのため、何か政策を調べたい場合には、その政策の所管部局がどこなのかをしっかり把握することが重要である。その保管方式自体は日本の国立公文書館や台湾の国史館も同様だが、アメリカの場合、文書があまりにも厖大すぎるため、日本や台湾ほどデータベース化されておらず、システムで検索しても出てこない場合が多い。そのため3階に行ってFinding Aidなどの各種ファイルを使って自分が知りたい政策の場所を探していくことになるが、そのファイル自体が官公庁ごとにまとまっているため、自分が調べたい政策の所管部局を正確に知っておかなければなかなか見たいものにたどり着けないのである。アタリマエではあるが、アメリカ(特に申請者が関心をもつ対外情報文化政策)の場合、官公庁の再編が頻繁にあるため、「この時期の所管省庁はどこか」を正確に把握しておく必要がある。

 

②アクセスをよく調べる

 筆者は今回、カレッジパーク駅から離れた(車で10分ほど)ところにホテルをとった。価格が比較的安かったのと、そばに大きなスーパーがあることが魅力的だったためである。Google Mapで調べるとNARA IIにはバスの乗換1回(2本のバス)で40分程度でいけるため、まぁいいかと思った次第である。

 しかし、このバスの乗り換えが鬼門だった。というのも、アメリカでは(他の国でもそうかもだが)バスが時刻どおりに来ることはほぼなく(なんとなれば来ない日もあった)、しかも1時間に一本とかなので、逃すと完全に待ちぼうけになるからである。1本で行けるのであれば多少の遅れは挽回できるが、2本乗ることになると途端に変数が増えて、首尾よくアクセスできる成功率が著しく下がる。結局筆者はうまく行き帰りできた日の方が少なく、残りはホテル/NARA IIや乗換のバス停のところでUberを使うことを余儀なくされた(なお、Uberの料金は、時間帯で変動するが平均的には11ドルぐらいだった。複数人で行って割り勘するとか、その値段も計算に入れて安めのホテルを取るかすれば、却ってその方がタイパがよいかもしれない)。

 なお、2024年9月現在、管見の限り、NARA IIをルートに含む路線バスはWashington D.C. Metro Busの「C8」路線のみである。1時間に1本しかなく、遅れるのはまだいいが早く来て過ぎ去っていくこともザラであった。リアルタイムの運行状況がWashington Metropolitan Area Transit Authorityの公式?アプリ「Metro and Bus」で確認可能。このC8バスはCollege Parkのメトロ(電車)の駅を通り、メリーランド大学のキャンパス内を突っ切っていく路線である。この沿線上にホテルを取るのが一つの選択肢である。

 二つ目はワシントンD.C.市内にとることである。市内の公文書館本館(NARA I)から毎朝・毎夕、開館と閉館の時間に合わせて直通バスが運行されている。これに乗ることも簡便でよいと思われる(見た感じそのバスに乗って帰る方がやはり多かった)。

 三つ目はNARA IIへの直行バスサービスを出しているホテルに宿泊することである。2024年9月現在ではHoliday Inn Washington-College Pkがそれに該当するようである。

 

 以上のとおり反省点も多く、また想像以上に文書量が多かったため全部見切れなかった悔しさもあるが、大変貴重な経験となった。次に来る際にはより効率的に文書を捌けるようになりたい。

2024年8月の振り返り

博士後期課程1年目の「夏休み」。授業がなかったため、ひたすら史料収集に明け暮れた日々だった。

 8月初めに1つ学会報告を行ったのち、翌週から台北へ。台北では国史館や中央研究院近代史研究所はじめ、基礎となる幾つかの施設を回ることができた(各施設に関する所感ついてはこちら)。余談だが、台北は食べ物が本当に美味しく(特に朝食)、帰国後数日は「台湾ロス」に陥ってしまった。

 その次の週は都内の外務省外交史料館に数日連続で籠ることとなった。戦前の史料はほとんどアジア歴史資料センターで閲覧可能だが、戦後についてはそうもいかない。お目当ての史料は紙の現物をすぐに見ることができないため、マイクロフィルムをひたすら繰ることとなった。同館も利用自体はとても簡単にでき、また特段の事情がなければ史料の写真撮影も可能なので、なかなか使い勝手がいい(ただ、周囲に安価な飲食店がなく、また館内に飲食スペースがないため、昼食が難儀する。自分の場合はウイダーinゼリーを持ち込んで、玄関のところで一瞬で飲むという対応をするほかなかった)。

 

 だが、月の後半は迷走気味だった(現在も迷走中)。閲覧していく個々の史料のなかに面白い記述や、先行研究で十分議論されていない発見を見つけることはできる。ただ、それを自分の根本的な興味関心にどうつなげていくのかを練り切れていない、否、これから重々吟味していく必要がある。
 さらに、政治外交史や国際関係史のなかで必ずしもメジャーなトピックではない自身の興味関心を、それらの文脈のなかにいかに位置づけるか、言い換えれば自分の取り上げる対象を事例として、それら大きな文脈の既存のナラティブにいかに挑戦していくのかという、修論でもうまく整理しきれなかった壁に再びぶつかっている。その思考の過程で、そもそも自分の興味関心は一体何なのかという初歩の初歩まで立ち返る状況となっている。自分の興味関心の所在をはっきりとさせ、かつ、その所在地を流れる大きな知的潮流と対話可能な形で提示する必要があるが、その点を整理しきれていない(というより、いろいろな史料を見る過程で、「あれ、そもそも何したいんだっけ」となりつつある)。

 閲覧した史料も、中国語のものもあれば日本語のものもあり、また時代も、1920年代から1970年代まで及んでいる。たしかに視野は広がったし興味関心の幅が大きくなったことはよかったかもしれないが、視点が拡散し、消化不良気味になっている感がある。

 そのような状況下ではあるが、今月後半には米国での史料調査が控えている(それもあって8月は米国の公文書システムや、戦後米国の対外文化政策に関しても触れる機会が多かった)。史料を見るに際しては視野を狭めず、ゆるく広く見ていくことが肝要だとも思うが、10月からの秋学期までにはどうにかこれらの問題を整理しておかなければならない。

 「食欲の秋」のとば口である9月、「食わず嫌い」をせずに新たな知識や視点への門戸を開きつつも、やるべきこと/やりたいことは何かを熟慮しながら、事に当たっていきたい。

 

 最後に恒例パターンではあるが、今月読んだ書籍のなかから3点をピックアップして振り返りを終えたい。

 

高岡裕之『増補 総力戦体制と「福祉国家」――戦時期日本の「社会改革」構想』岩波現代文庫、2024年

 前々から読みたいと思っていた2011年刊行の作品が、早くも岩波現代文庫に入った。公的年金制度や社会保険など、今日の社会福祉の由来が戦時期にあるという言説はしばしば見られるが、その内実を堅実な歴史学の視座から丹念に追った研究。「福祉国家」(的なもの)と総力戦の関係や、そこに従事した官僚等の思想と政策実践の関係を緻密に読みほどいていく内容自体がとても面白いが、同時に、論の運び方(「問い」を次から次へとバトンのように継いでいく書き方)も非常に参考になった。冒頭の、総力戦と「近代化」論に関する先行研究の整理も大いに勉強になった。

 

②土屋由香『親米日本の構築――アメリカの対日情報・教育政策と日本占領』明石書店、2009年

 昨今「文化冷戦」研究で注目を集める筆者の最初の1冊(博論本)。主に占領期に焦点を当てて、GHQ/SCAPの民間情報教育局(CIE)が行った対日教育文化政策をめぐる政策過程や、そこで取り上げられた映画や教育施策に潜むオリエンタリズムジェンダーの問題に迫る研究。占領終了間際、対日文化政策の主導権をめぐって国務省陸軍省が対立していく様相も興味深い。他方、ガリオア計画による人物交流については論及が薄いため、他の著作を参照する必要がある。

 

国際文化会館地経学研究所編『経済安全保障とは何か』東洋経済新報社、2024年

 「過去の」「対外文化政策」を研究している筆者からすると真逆とも言ってよい分野ではあるが、経済安全保障について基礎知識を得る必要があったため、手に取ったもの。昨今注目を集める経済安全保障について、その基礎的概念や日本における政策制定の概略のみならず、サイバーや医療、金融など個別分野における展開についても解説した有用な一書。
 「真逆」とは言ったものの、経済安保の論点自体は過去の政治外交を見る上でも非常に重要だと思う。例えば、本書でも指摘されているとおり経済安保は伝統的安全保障と違って企業が重要なアクターとなるが、企業は企業で市場原理に従い、利益重視の活動を行う。そのため、国家の方針と企業の活動はしばしば矛盾や緊張を来たすこともある。こうした政治外交と、企業活動や経済的自由主義をめぐる緊張関係は、筆者が専門の一つとする戦前期の日中関係を見る上でも大変重要である。戦後の日本外交においても、オイルショック期の対中東外交と企業活動など、しばしば緊張が生じた。
 今日の経済安保の本質的な議論とはやや違う角度かもしれないが、歴史と現在を架橋する視座を養うためにも、今後も理解を深めていきたいと思う。

中国ビザ申請記録(2024年8月)

今秋、中国某所で行われる学術交流会に参加するため、中国ビザの申請を行った。コロナ前の15日以内ノービザ渡航がまだ再開されておらず、依然としてビザが必要なためである。

ビザ申請は、東京の場合は有明(最寄りは東京ビッグサイトまたは国際展示場)にある、中国ビザ申請センターで行う。前職時代はお客様や上司、自分の出張のために何度も通った場所だが、個人として申請に行くのは初めてだった。

何ら参考まで、今日(2024年8月)時点での申請の要領について、簡単にまとめることとしたい(今後変更になる可能性もある点は留意されたい)。

 

1. 必要書類

 ビザの種類にもよるが、学術交流の場合はF(訪問)ビザとなる。Fビザの場合、

①パスポート原本
②パスポート顔写真ページのコピー
③顔写真(大きさ、背景白、眼鏡ははずすなど、規定が厳しいので要注意)
④申請表(後述)
⑤招聘状(邀请函/写しでも可)

が必要となる。招聘状は写しでも可なので、先方からPDFでもらう形でも事足りる(ただしビザセンターHPには、原本が求められる場合もあるとは記載がある)。

 

2. 顔写真の用意

 申請に行く前にビザセンターHPで、オンラインで「申請表」を作る必要があるのだが、その際に、写真データをアップロードする必要がある。そのため、申請表の作成前に顔写真を用意しておくとよい。

 顔写真は、筆者はいつも以下のサイトを使っている。これを使えば、写真屋に行ったり証明写真機を使ったりせず、自宅などで撮影した写真でも、中国ビザ用に自動加工してくれるので便利である。オンライン用のデータと申請時に持参する用の現物(コンビニでプリントアウト)、両方用意できる。サービス利用料で700円、コンビニでのプリントアウトに30円かかる。

www.freedpe.com

 

3. 申請表の作成

 上述の中国ビザセンターのHPで作成する。入力する情報が非常に多く、なかには「こんな情報も!?」というものもある。例えば年収、両親・子どもの年齢や住所、5年以内の勤務先情報(上司の名前含む)など。何度も入力して慣れているはずの筆者も、改めて一から入力すると小一時間はかかった。(しかしこれでも、コロナ明けの初期の頃に比べれば入力システムがずいぶん改善されて、わかりやすくなった。入力する項目自体は、案内に従っていけば特に迷うことはないと思われる。)

 申請表を作成後、プリントアウトして、1ページ目と最後のページの2ヵ所に、自筆署名・日付の記入を行う。ビザセンターにはこれを持参する形となる。

 なお、ホッチキス留めはしない方がいい(申請時に係の人が確認しづらくなるため)。また、顔写真は上記2. でプリントアウトしたものを、台紙から切らずに、また申請表に貼らずに持参する(切って貼ってしまっても害はないが、窓口で切って貼ってくれる)。

 

4. ビザセンターに申請に行く

 書類の準備が整ったら、有明にあるビザセンターへ申請に赴く。なお、以前は申請予約が必要だった(そしてその予約がなかなか取れなかった)が、今は予約不要になった。なんとなれば、申請表を作った翌日に行くこともできる。

 ビザセンターは東京ビッグサイト駅からは駅直結、国際展示場からは10分弱歩くビルの12階にある。

 筆者は11:30頃に到着した。まず、書類確認の列に並ぶ(これは15分ほど)。そこで整理券を渡されるので、席(まぁまぁ数が多い)で待つ。47人待ちで、2時間30分近く座って待つこととなった。しかし、それでも一時に比べれば窓口の数が相当増えた(寛容)。ノートパソコンや本など、時間をつぶせるものを持参するのがよいだろう。なお、待合室に飲み物の自動販売機はある。

 番号が呼ばれたら窓口で手続きをする。初めての申請の場合は指紋の採取がある。いずれにせよ、その手続き自体は10分もかからずに終わる。

 手続きが済んで受理してもらえたら申請料を支払う。以前はビザ受領時の後払いだったが、最近から前払いになったようである。支払いはクレジットカードでも可能。

 これで申請は完了。なんだかんだ3時間はビザセンターに滞在した。

 

5. 受け取り

 普通申請であれば、(何事もなければ)申請日を入れて4営業日で発行される。窓口で何日以降であれば受け取り可能、というふうに案内される。その日にもう一度有明に赴いて受領することとなる。この受け取りは、申請者本人でなく代理人でもできたはずである。

 

 以上、2024年8月時点での(あくまでもFビザ)申請の流れについて概説した。繰り返しになるが、コロナ明けの初期に比べればだいぶスピーディになったし、わかりやすくなった(この「改善の歴史」や手続き簡素化をめぐる組織論自体がなかなか興味深い)。しかし、何はともあれ、早くビザなし渡航が復活することを期待したい。

台湾史料調査記録(2024年8月)

はじめに

 2024年8月5日から10日にかけて、台湾・台北にて史料調査を行った。台湾に行くのは9年ぶりのこと。前回は単なる旅行だったので、調査出張で訪れるのは初めてだった。のみならず、(修士課程は働きながらだったこともあり)海外で史料調査を行うのも、初めての経験だった。
 今回は、国史館、政治大学孫中山紀念図書館、国史館新店別館、国家檔案管理局、中央研究院近代史研究所檔案館、という5つの施設を訪問した。そこで、それぞれを利用する上での留意点や気づきの点を、備忘録として記すこととしたい。

※本情報はあくまでも2024年8月5日~10日時点のもの。今後変更がある可能性もある。また、認識・理解が誤っている可能性もある点はご了承いただきたい。

 

各訪問先について

国史

 今回訪れたなかでは最もアクセスが容易なところ(総統府の真裏)にある。特別な史料でない限りは、特段閲覧予約などは必要ない。(後述するように新店別館の史料を閲覧するためには同館のアカウントを取得し、事前申請する必要があるが、こちらは不要。しかし、アカウントはあらかじめ作っておくと便利。)

 入口の前にあるロッカーに私物を預け、入室する(硬貨が必要)。ノートパソコンを持ち込むには入室時に登録(氏名などを記入)する必要がある。入室後、スタッフの方が指定する座席に座り、パソコンで史料を閲覧したり、(あらかじめ申請しているものがあれば)現物を見たりする。パソコン画面で表示されるものは、「撮影禁止」と特に指定されていない限りは、スマートフォンなどで撮影可能。

 今回私もそうだったが、基本的には、この閲覧室でしか見られない史料(オンラインで自宅で見られるものも多い)を、ひたすら写真撮影(ないし有料での複写)をするという作業になるのだと思う。ちなみに、個々の閲覧席にコンセントがあるので、スマホやパソコンの充電も可能(ずっと写真撮影をしていると、スマホの電池を相当消費する)。

 なお、国史館がある建物の北あたりに飲食店が多くある。地元の方が列をなしている「小吃」のお店が路地裏に並んでいるところもある。相当ローカルだが、中国語が使えれば比較的安価に食事ができる。

 

②政治大学孫中山紀念図書館

 こちらには中国国民党党史檔案の一部が収められている。今回筆者が閲覧したのは「中行廬経世資料(いわゆる張群史料)」。

 政治大学は台北市の南東郊外にある。バスでのアクセスが便利だと思われる(筆者は台北駅からRoosevelt Mainline(羅斯福路幹綫)でアクセスした)。市中心部からだと小一時間かかるので、時間に余裕をもって訪問する必要がある。

 オンラインで所蔵史料を確認し、事前申請などが特に不要のものであれば、予約なしで行くことが可能。図書館の入り口、受付のところでスタッフ(守衛さん?)に学外者であることを告げ、モニターにパスポート番号などを入力する。スタッフの方が英語で対応してくれたので、中国語ができなくてもおそらく入館は可能と思われる。パスポートを預け、引き換えに入館カードをもらえる。

 閲覧室にノートパソコンの持ち込みは可能だが、スマートフォンは不可。ロッカーに預ける必要がある(10元コインが必要)。部屋に備え付けのパソコンで閲覧していく形だが、写真撮影は不可(複写も不可と言われた)。よって閲覧したものはパソコンにタイプしていくか、手書きで模写していく必要がある。

 同館は月曜から木曜の午後(13:00~17:00)しか空いていない。写真撮影・複写ができず閲覧に時間を要するので、効率的に旅程に組み込む必要がある。

 

国史館新店別館

 ①で記した国史館の別館。こちらではオンライン化や審査が済んでいない史料の、基本的には原本(原件)を見ていくこととなる。よって、閲覧時は手袋をはめるなど細心の注意が必要(ゴム手袋は閲覧室現地で支給される)。

 今回行った5ヵ所のなかで最もアクセスが難しい(と言うと失礼だが)ところにある。台北市の南側に位置する新店区に所在。MRT(捷運)の松山新店線の最終駅・新店駅まで行き、そこからバスに乗る(「中生橋頭」バス停下車)のが、おそらく最も効率的。バスは山道を登っていくような形で、周辺の景色は以下写真のとおりいかにも「山」といった感じ。本当にこんなところにあるのだろうかと不安になったが、現地に着くと「国史館はこちら」という目印があるので、それに従って歩いていくと着く。

 こちらは事前に申請予約が必要。国史館の検索システム(國史館檔案史料文物查詢系統)で、「新店別館」と記載されている史料が対象。同システムで、ネットショッピングで「お買い物カゴ」に入れていくような感じでチェックしていき、申請書を電子的に送付することができる(後述する④と違って、署名したPDFを別送する必要はない)。申請時に同館来訪日をあらかじめ指定する必要がある。筆者の場合は今回2回(いずれも同日閲覧)申請したが、いずれも申請したその日のうちに許可が下りた。

 入口のところで守衛さんの案内に従い、登録(登記)する必要がある。登録すると閲覧室まで案内してくれる(「初めてか?」と聞かれて然りと答えたためだからかもしれないが)。

 閲覧室では、特段禁止の指定が無ければスマートフォンで史料の撮影が可能。既述のとおりゴム手袋は支給され、また史料を押さえるための文鎮も貸してもらえる。

 また、周辺に飲食店がほぼない(地図で見た感じだと、徒歩で少なくとも片道10分以上かかり、急な坂道を上り下りする必要がある)。そのため、あらかじめコンビニで買ったパンやおにぎりを持参するとよい(筆者も知人からそのようにするよう推奨され、持参していた)。閲覧室の隣の建物に飲食可能なスペースがある。

 他の図書館・閲覧室と比べると、若干エアコンの効きが弱く、暑かった。(山の中にあることもあり)冬は逆に寒いのかもしれない。

 

④国家檔案管理局(国家檔案閲覧中心)

 国家発展委員会の傘下にある公文書管理機関*1新北市新荘区に閲覧室(国家檔案閲覧中心)がある。

 今回訪れた5ヵ所のなかで最も手続きが(相対的に)複雑だった。まず、同機関所蔵史料をオンライン(国家檔案資訊網)で検索するが、その前に会員登録する必要がある。同サイトの「會員中心」→「會員登入」で、「MyEGOV賬號登入」(MyEGOV=我的R政府)という箇所があるので、そこで登録する。検索して表示される史料のなかにはオンラインで自宅からダウンロード・閲覧可能なものもある。そうではないものについて事前申請する必要がある。

 一度に申請できるファイルは10件までで、かつ審査に20日~1ヵ月ほど時間を要するため、前広に手続しておく必要がある。申請は③と同様にオンラインで申請書を発行する形だが、発行されるPDFに自筆署名して、別途メールで送付する必要がある(それをしないと審査が始まらない)。なお、同機関所蔵史料のなかには①の国史館や⑤の中央研究院近代史研究所で閲覧可能なもの(重複しているもの)もある。

 審査が完了するとその旨知らせるメールが来るので、その後別途、閲覧日(訪問日)を指定する。

 台北駅から行く場合、桃園空港へつながる桃園国際空港捷運で「新荘副都心」駅で下車し、そこから徒歩(10分ほど)で行くのがおそらくアクセスが最もよい(同捷運は各駅停車(普通車)に乗る)。スマートフォンの持ち込みは不可のため、ロッカーに預ける。

 史料は原本(原件)と、電子化されたファイルをパソコンで見る場合との両パターンがある。前者についてはカメラを用意してくれているので、それで必要な箇所を自分で撮影していく。後者についてはパソコンで見ていき、複写を希望するページは「Copy」などと題されたフォルダに自分でコピペしていく。仕組みが若干不思議だが、前者の自分で撮影した分については、審査ののち、無料で電子版をメールで送ってくれるとのこと。対して後者の方は有料。しかも、審査(3週間ほどかかる)のあとに閲覧室にて支払うか、台湾の銀行口座宛てに料金を支払う必要がある。よって海外にいると(台湾に知人がいない限りは)対応が難しい。

 閲覧室は1階にあるが、地下1階にフードコートやコンビニがあるので、そこで昼食を取ることができる(ただしフードコートは13時過ぎになると売り切れor閉店になっていたので、早めに行った方がいいのかもしれない)。

 

⑤中央研究院近代史研究所檔案館

 台北市の東側、南港区に所在。台北駅からはMRTで「南港」駅へ行き、そこからバスに乗り換えて「中研院」バス停で下車するのがおそらくアクセスがよい。

 中央研究院は科学・人文学の研究所が集積した場所で、大学のキャンパスのような雰囲気。近代史研究所檔案館の建物、3階に閲覧室がある。

 閲覧の事前予約は基本的には不要。ただし、検索システム(近代史研究所檔案館館蔵検索系統)でアカウントを作っておく必要がある。なお、原本(原件)を出してもらう必要がある史料についてはあらかじめ申請しておかないと現地で見ることができない。

 特段の指定がない限りは史料を写真撮影することが可能なので、ここもやはりスマートフォンなどでひたすら写真撮影する(または有料の複写を申請する)作業になる。

 昼食は中央研究院の食堂(フードコートのような形になっている)でとった。

 なお、今回閲覧はしなかったものの、同院には郭廷以図書館、傅斯年図書館などの図書館もある。後者は入館時に荷物を預け、登録する必要がある。

 

おわりに

 以上、今回訪問した5つの機関についてごく簡単にまとめた。いずれも外国人だからという理由で特別な手続きを求められることはなく、もちろんそれぞれ個別のルールがあったり、市内からアクセスが遠いところがあったりはするものの、とても便利でオープンな印象を受けた。

 今後も断続的に訪問することになるであろうところ、各館の使い方や所蔵史料、それらそのものに関する歴史などについて、理解を深めていきたい。

*1:福田円「台湾現代史史料をめぐる動向――歴史と現実政治との対話」『交流』975号、2022年6月、pp.8-13、p.11。なお、同稿は各資料館の概要が簡便にまとまっており、今回大変参考にさせていただいた。

2024年7月の振り返り

7月は、なかなかに慌ただしくも充実した一月だったように思う。

まず第1週に東アジア近代史学会、第2週に国際文化学会と、学会の年次大会が相次いだ。
前者は國學院大学での開催。2日目のシンポジウムは今年「150周年」となる台湾出兵牡丹社事件をテーマにしたものだった。朝から夕方までひらすら台湾出兵牡丹社事件の話を聴くのも稀有な体験だったが、登壇者には日本史・中国史琉球史・台湾史の各分野、さらには文化人類学の専門家などが揃い、多種多様な角度から一つの歴史的出来事を捉えていくことによる面白さを学んだ。

後者は専修大学での開催。同学会の大会に参加するのは初めてだったが、「文化」という視角からさまざまなディシプリン(国際関係論、地域研究、文化人類学社会学など)の研究者が参集していた。非常に学際的な雰囲気で、「文化」概念のもつ越境性を体感することができた。また、一日目の昼に行われた院生交流会では、近い関心をもつ他大学の院生と共同作業(共同研究をするとすればどんな内容にするかを考える)することができ、大変刺激を受けた。

改めて、学会でネットワークを広げていく重要性を感得した。特に長期休みに入ると人と会う機会がめっきり減るが、その前にこうした機会に恵まれたのは本当に良かったと思う。

第3週は所属ゼミのゼミ合宿で伊豆へ。学部の頃はゼミ合宿という文化がなかったので、初めての経験だった。研究報告もさることながら、特に同室になった学生と普段よりも深く知的関心を共有でき、刺激を受けた。また、2日目午後に訪れたシャボテン公園が、動物もサボテンも大変充実していて、密かに(?)感動した。

また、自分が報告したわけではないが、いくつか英語での研究会にもお邪魔させていただいた。なるべく挙手して質問することを心掛けているが、英語での質問にはまだまだ慣れていない。7月初旬に参加したものでの質問が特にしどろもどろになってしまい、英語力を不足を痛感して、「瞬間英作文トレーニング」を日課にすることにした。以後、少しは上達していることを願いたい。

 

第2週に春学期のゼミがすべて終わり、語学の授業の期末課題も出し終えて、ようやく「夏休み」に入った。春学期は自分の履修が4コマ、TAが1コマと、なかなかせわしない感じだった。しかし、特に語学(アカデミックライティング)に関してはこのタイミングで勉強しておいてよかったと感じている。少人数(先生とほぼマンツーマン)で指導を受けられるのは本当にありがたかった。

 

8月・9月の期間中に広く史料にあたり、博論(特にプロポーザル)に向けて道筋をつけていくことが、今後の帰趨を占うことになるだろうと考えている。早速来週からは台湾で史料調査、9月には米国での史料調査が控えている(余談だが、人生初の訪米。緊張している)。気を引き締めて日々を過ごしていきたい。

 

最後に、好例だが先月読んだもののなかで特に印象的だったもの3点をあげたい。

①川村陶子『〈文化外交〉の逆説をこえて――ドイツ対外文化政策の形成』名古屋大学出版会、2024年

戦後ドイツの対外文化政策の形成過程を通して、国際関係における対外文化政策のあり方を論じた著作。私はドイツの専門家ではないのでドイツ史における位置づけは必ずしもわからないが、対外文化政策研究という観点では今日の一つの到達点を示していると思う。特に第1章で述べられる対外文化政策(〈文化外交〉)をめぐる諸概念や分析視角、論点、歴史に関する部分は出色。対外文化政策の「現場」や肌感覚に根差している点も特長と言える。これから何度も立ち返ることになるであろう一書。

 

笠原十九司『日本軍の治安戦――日中戦争の実相』岩波現代文庫、2023年

日中戦争の本質は「治安戦」――一般人を含めた敵方根拠地の殲滅、いわゆる「三光作戦」――にあるというのが筆者のメイン・アーギュメント。その指摘どおり、目を覆いたくなるようなその実態を、オーラルヒストリーも踏まえつつ叙述する一書。日中戦争の経過に関する基礎史実的な部分も手際よくまとめられている。さまざまな見解はあれど、今の時代だからこそ一読に値する作品であると思う。

 

③石川禎浩『中国共産党、その百年』筑摩書房、2021年

共産党の歴史について復習したいと思い手に取った一書。党の指導者個々人に関するエピソードを含め、終始読みやすく面白い(しかし論理や実証性も兼ね備えている)筆致で綴られている。同じく共産党成立100周年という節目に出版された、高橋伸夫『中国共産党の歴史』(慶應大学出版会、2021年)と併せて、現代中国政治に関する基礎文献としても有用と思われる。