道に志し、芸に游ぶ

中国・北京在住(2018.8~)。主に読書記録。歴史/社会/言語/教育関係がメイン。

(読書記録)迫田久美子『日本語教育に生かす第二言語習得研究』アルク

日本語教育に生かす第二言語習得研究

日本語教育に生かす第二言語習得研究

 

 春節休暇の2冊目。第二言語習得(SLA:Second-Language Acquisition)に関する広島大学・迫田先生のご著作を読みました。SLAに関しては昨年読んだ、白井恭弘先生の『外国語学習の科学』(岩波新書)に続き2冊目。今回読んだものもSLAに関する諸理論を紹介する入門書のような形ですが、タイトルのとおりより日本語教育に引き付けた内容です。2002年出版とやや古く、今ではより研究が進んでいるのだと思いますが、わかりやすいです。

章立ては以下の通り。

第1章 第二言語習得研究はなぜ必要か

第2章 第二言語習得の発達

第3章 第二言語習得の理論・モデル

第4章 第二言語習得にかかわる要因

第5章 バイリンガリズムと年少者教育

第6章 第二言語習得研究の方法

第7章 第二言語としての日本語の習得研究

第8章 日本語の習得研究と日本語教育

  恥ずかしながら「第二言語習得理論」という理論や研究分野があることを、長年英語や中国語を勉強しながらもまったく知りませんでした。白井先生の本を読んだのは昨年暮れですが、「こんな研究があったのか!」と驚きました。そして、それまでいかに自分が闇雲に外国語を学習していたのかを反省・後悔もしました。

 考えてみれば、母語以外の言語を学習によって身に着けていくというのは不思議な営みです。その目標言語が話されている国で生活していくうちに身につく人もいれば、私のように教室で学習する人、さらにはいわゆる帰国子女のように幼少期のうちに身についてしまい人もおり、学習/習得の仕方は多様です。また対象となる言語の形態、母語との近似性の高低によっても変わってきます。それらを貫く理論が、心理学や言語学の知見もふんだんに取り入れながら構築されているのは純粋にわくわくします。

 末尾に記されている膨大な参考文献からもわかるとおり、先生は英語はじめ様々な言語におけるSLAの研究を参照され、わかりやすく紹介しつつ、第二言語としての日本語習得ではどのようなことが言えるかを現今の研究成果を提示しつつ、理論をどう現場の実践に生かすかについて示唆を投げられています。

 迫田先生ご自身の研究を紹介されている第4章の「学習ストラテジー」は、数ある理論のなかでも特に興味深く感じました。

学習者が第二言語習得の過程において講じる種々の対策を「ストラテジー(方略)」を呼びます。ストラテジーは大きく、「コミュニケーション・ストラテジー」と「学習ストラテジー」に分けられます。前者は、「学習者が自分の知識や能力が足りなかったり、言葉や表現が思い出せなくてコミュニケーションに支障を来した場合にとる行動や態度のこと」(p.107)です。

私も先日、近くの華僑料理屋(シンガポール料理やマレーシア料理など)で野菜炒めを頼もうとした際、野菜の名前の漢字がまったく読めず、(カウンター頭上のメニューを指して)「あ、あの、メニューの真ん中にある6元の青菜!」と説明してなんとか調達できました(果たして方略と言えるのか不明)。

 それに対し学習ストラテジーは、当該言語を学ぶ際に学びやすくする方策のことを言います。歴史でよく使う語呂合わせや、英単語を語源に遡ってカテゴライズして覚える、などです。

 筆者はこれに対し、「意識的・無意識にかかわらず、学習者が目標言語を覚えたり、使ったりする際にどのように言語処理をするかという方法」のことを「言語処理のストラテジー」と定義し、日本語学習者を対象に量的検証を試みています。

著者の例を引けば、行為の場所を示す助詞「で」「に」について、学習者がしばしば「門の前話をしました(〇で)」「私は東京住んでいます(〇に)」のようなミスを犯します。これについて、「で」か「に」かは本来その後に続く動詞によって選択がなされるにもかかわらず、学習者の脳内では「位置+に:テレビの前あります」「地名・建物+で:食堂食べます」のように、その助詞の前にいかなる名詞が来るかで判断してしまっているためである可能性を提示しています。

つまり、筆者の定義に従えば、「ある言語項目が前(または後)の語と1つのユニットとして分析しないで固まりのように処理される」「ユニット形成のストラテジー」が働いてしまっています(p.116)。

ほかに「付加」のストラテジーも指摘し、「第二言語学習者は教師や教科書で教えられたとおりの文法を頭に入れているのではなく、学習者独自の方法、つまり「ユニット形成」や「付加」などのストラテジーを使って言語処理を行い、規範の文法とは異なった学習者独自の文法を作り上げている」可能性があると述べます(p.117)。

セリンカーの唱えた「中間言語母語とも異なる学習者特有の言語体系)」とも似た議論ですが、中間言語が学習者の習熟度にもよって絶えず変化し、また各学習者に固有のものなのに対し、ある一定レベルの学習者全般に言え、しかも「無意識」に作用しているというのが面白いです。誰が教えたわけでもないのに、自然とそう捉えてしまうのです。

その言語を習得するうえで陥りやすいポイントとして把握することで、教授法の向上にも貢献する理論だと思います。私も英語や中国語において、同様のストラテジーを無意識のうちに取ってしまっているかもしれません。

 こうした形でとても面白い理論の多いSLA研究という分野。もっと勉強してみたいです。