道に志し、芸に游ぶ

中国・北京在住(2018.8~)。主に読書記録。歴史/社会/言語/教育関係がメイン。

(読書記録)高良倉吉『琉球の時代―大いなる歴史像を求めて』ちくま学芸文庫

 

琉球の時代―大いなる歴史像を求めて (ちくま学芸文庫)

琉球の時代―大いなる歴史像を求めて (ちくま学芸文庫)

 

 妻が沖縄出身で、年末は沖縄で過ごすこととなったため、その前に読もうと思って購入した本(結局こちらに帰ってきてから読み終わりましたが…)。初版は1980年と古い本ですが、kindleで読むことができます。

 

先史時代から1609年の薩摩侵入事件に至るまでを「古琉球の時代」とし、当該時代の琉球王国がいかなる歴史を歩んだのかを描く本です。古謡集『おもろそうし』や『歴代宝案』、中国語の歴史書を紐解きながら実証的に琉球の歴史をたどっていきます。

 

 「大交易時代」にその地理的特性を生かし中継貿易に漕ぎ出していく過程やその態様については、他の本で読んだことがあることもあり真新しさはありませんでした。ですが、琉球王国の内政面は詳しく学んだことがなく、特にグスク(城)の意味や尚真王の治世に関する箇所はなるほどと思いました。冊封朝貢貿易に参入した過程は、中国皇帝から琉球王(「中山王」)の名を賜ることからも対外的にその独立を示すものですが、特に尚真王(在位1477~1527年)の時代に、統治・行政制度も整備され、国内的にも王国としての体制が構築されていきます(この過程は日本史の範疇ではあまり着目されないのではと思います)。聞得大君をトップとする女神官組織は顕著ですが、「日本」の他の国や藩とは異なる極めて独特の仕組みを作り上げていて、琉球の歴史の独自性が窺い知れます。

 

 首里城に代表され、グループとして世界文化遺産にも登録されている沖縄のグスクですが、首里城以外にも各地に城跡が残ります(中城、勝連城、今帰仁城など)。中山国による琉球王国統一以前、地方勢力の根拠地として機能し、王国時代にも按司(地方官)の行政的中心と機能しました。同時に筆者は、「沖縄で城跡という場合その内部に例外なしに聖所が存在する」と指摘し、グスクの持つ宗教的意義に着目します。聖所とは御嶽(ウタキ)など、沖縄土着の信仰の対象となる場所です。信仰の対象たる聖所であった場所に人々が集住し、次第に政治的拠点ともなった、したがって小高い丘に聖所が存在するような場所はおしなべて「グスク」であったという指摘は、グスクというと、本土の戦国時代にように政治的・軍事的拠点を思い浮かべてしまう私には新鮮でした。「城塞のない小高い丘(聖所であり御嶽である)、死者のねむる古い風葬所としての丘、信仰の対象としてあがめられる岩山などもまたグスクと呼ばれる。」とのことです(同書位置2086 kindleで読んだためページではなく位置表記)。那覇の街を歩いていると住宅街や商店街のなかに不思議に残っている緑の小高い丘を見かけますが、こうした場所もかつての「グスク」なのかもしれません。こうした、かつての信仰が今でも街並みの中に残っているのが、沖縄の街を歩くときに感じる面白い点です。

 

 尚真王の時代には、先に述べた神官組織の整理、「辞令書」に基づく按司の再編や首里への集住、大規模土木工事の実施など、首里を中心とした中央集権体制が強化されていきました。政治的中央集権と同時に、聞得大君を中心とした宗教的中央集権も構築されていき、祭政一致が貫かれている点が面白いです。琉球処分後にこうした機構は解体されていきますが、妻の話によれば、女神官の末端にあたるノロは今でも職業として残っており、妻も生まれる前に両親がノロのもとへ名前を占いに行ったとのことでした。

こうして、按司を再編成することによる官僚制と、女神官による宗教組織の両面から階級組織を整えた琉球王国は、ともすると安易に想像してしまいがちな「牧歌的な国家」ではなく、民衆が国家支配と搾取の対象としてその枠内に再編成された「階級国家」として内政面では確立されたと筆者は指摘します(位置2963)。しかし、こうした外交や内政面は史料から推察できますが、庶民の生活については史料が残っておらず、検討する手立てがほとんどないとのこと。沖縄戦による消失という現実にも目を向けなければなりませんが、想像によるしかないことは残念です。次に沖縄に行った時には、今でも街中に残る信仰や生活の痕跡や現地の方のお話から、イメージによる歴史の旅をしてみたいと思います。

 

日本が近代国家として発展する段階で多くの周辺諸国を自国の領土内に組み込みましたが、その多くは大戦後に返還されました。しかし沖縄は、近代日本の成立という過程で、琉球王国という一つの独立国家を築いていた地域が強権的に組み入れられ、現在でも「日本」の一部として残っている場所です。沖縄を取り立てて分離して考え、殊更にその特異性を論じる(違いを強調する)必要はないと思いますが、そうした歴史的経緯を「近代日本の成立」という歴史の一幕として語るだけでなく、その意味の重さ、そしてその地域の歩んできた独自の歴史を学ぶ必要があるのではないかと思います。そうすることが、近代的「国家」や「日本」とは何なのかという問いを考えることにつながるのではないかと思います。そうした観点から、沖縄の歴史についてこれからも継続的に学んでいきたい所存です。